在日へのヘイト・スピーチが蔓延するなか、映画『焼肉ドラゴン』はいちど暗礁に
劇中の登場人物は誰もが、排他的な日本社会のなかで虐げられ、そのことに絶望と怒りを抱えて生きているが、そのなかでも末っ子の時生が受ける差別は突出している。時生は私立中学に通っているが、学校では在日であることを理由にリンチを受けるなどの激しいイジメにさらされる。「キムチ」や「朝鮮帰れ」などの言葉の暴力にも晒されて不登校になるが、父は転校を許さない。時生はこれからも日本で生きていかなくてはならず、日本で生きていく限り、差別の問題から逃げることはできないと考えているからだった。そして最後は悲劇的な結末を迎えてしまう。時生が受けるイジメは周囲の人の実体験を聞き取ったうえで構成されており、映画の公式パンフレットでは、鄭義信のまわりでもイジメを苦に自殺してしまった人がいると語っている。
これは2018年のいまにもつながる問題である。「映画芸術」(編集プロダクション映芸)2018年4月号で鄭義信はこのように語っている。
「今現在もまだ「在日」に対するヘイト・スピーチは蔓延していますし、一時期は韓流ブームが起って韓国に目が向いた時期もありましたが、でもそれはネイティヴというか、韓国のKポップであったり、韓流スターだったりで、「在日」がどういう暮らしをしている人達なのかということはやっぱり全然分かってもらえていませんでした」
10年前の「すばる」のインタビューで語っていた「受け止めてもらえる土壌ができてきた、直球を投げられる」という明るい空気は、もはやどこにもない。その変化に悲しい思いを抱かずにはいれないが、まだ希望もある。
それは、紆余曲折ありつつも、映画『焼肉ドラゴン』は完成にこぎ着け、観客から愛される映画となっていることだ(興行通信社より発表されている全国映画動員ランキングトップ10では初登場7位にランクインしている)。
「物語」には、分断された人々に相互理解を促し、連帯させる力がある。『焼肉ドラゴン』にその力があることはすでに証明されている。鄭義信は「文藝春秋」(文藝春秋)09年4月号に、『焼肉ドラゴン』を上演した所感を〈僕が一番驚いたのは、日本人の観客たちが「焼肉ドラゴン」を自分たちの家族の物語であるかのように愛してくれたことだった〉〈「焼肉ドラゴン」の最後、家族はそれぞればらばらとなる。最小の共同体である家族の絆が失われていく姿に、日本人の観客たちも自分たちの家族の姿を、写し絵のように見ていたのだろう〉と綴っているが、これは『焼肉ドラゴン』という物語が、出自を超えて人々に共感と理解の輪を広げたことを意味している。
醜い排外主義を振りかざすことになんの躊躇も抱かない人が増えてしまった現在の日本社会に、『焼肉ドラゴン』の温かくもやさしい家族の物語が一石を投じてくれると良いのだが。
(編集部)
最終更新:2018.07.09 12:19