歌詞の問題はネトウヨ的浅さ!自分の魂に「御霊」と尊敬語つけるトンチンカン
しかし、今回の一件は、今もっとも売れているミュージシャンがびっくりするくらい右翼的な思想の持ち主だったという話ではない。むしろ逆だ。この戦前回帰的な軍歌もどきの歌詞は、右翼思想とはまったく関係なく、びっくりするくらい薄っぺらな動機でふんわりと生み出されている。そして、だからこそ問題なのだ。
野田は炎上直後、Instagramで〈純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました〉〈自分が生まれた国をちゃんと好きでいたいと思っています。好きと言える自分でいたいし、言える国であってほしいと思っています〉と釈明していたが、これはおそらく嘘ではない。野田はほんとうに「右も左もなく」「日本が好き」を伝えるために、無自覚にこんな言葉を選んだのだ。
そのことは、実は「HINOMARU」の歌詞からもうかがえる。同曲にはたしかに前述したように、戦前や戦中を思わせる国粋主義的フレーズが大量に出てくるが、その多くは本来の意味や歴史的背景とは大きくずれた、頓珍漢としかいいようのない使われ方をしているのだ。
たとえば、サビの〈どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど 僕らの燃ゆる御霊は挫けなどしない〉というフレーズ。「御霊(みたま)」とは、神の霊や死者の霊の尊称だが、そこに「僕らの燃ゆる」なる形容がくっついている。「俺らの熱い魂」的な意味で使っているのだろうが、完全に使い方を間違えている。というか、そもそも自分の魂に尊称をつけてどうするのか、という話である。
ほかにも、日章旗が国旗とされたのは明治時代のことで、一般民衆的にはせいぜい江戸時代の船印がはじまりにすぎないのに〈古よりはためく旗に/意味もなく懐かしくなり〉と表現したり、天皇や神の名前の尊称である「御名」という言葉を使って〈日出づる国の/御名の下に〉と歌ったり。ようするに、靖国神社まわりで使われていそうなフレーズをなんとなくパッチワークして「日本すごい」と叫んでいるだけで、歴史や伝統、国家というものを本気で学び、考えた形跡がまったくないのである。
だからこそ、野田は批判を受けた途端、あんなに簡単に謝罪してしまったのだろう。しかも、その謝罪というのが〈傷ついた人達、すみませんでした。〉と、まるで差別的な失言をしてしまった芸能人のような謝り方なうえ、〈この曲は大震災があっても、大津波がきても、台風が襲ってきても、どんなことがあろうと立ち上がって進み続ける日本人の歌です。みんなが一つになれるような歌が作りたかったです〉という、まるで日本人だけが災害に立ち向かっているかのような釈明を付け加える無自覚ぶりだった。