「象徴天皇」のあり方を模索し、反戦平和主義と護憲の姿勢を示し続けた天皇
天皇は生前退位を長年温めてきたと言われるが、これは天皇自身の退位問題以上に重大な決意を示している。日本国憲法における「象徴」のあり方を何度も強調した「おことば」の内容は、天皇を「国家元首」に規定した2012年自民党改憲草案へのカウンターにもなっていたのだ。
安倍首相を中心とする右派勢力が、天皇を戦中のような神話的存在にし、国民支配の装置として再び政治利用しようという意図をもっているのは明らかだが、それを、明仁天皇は国民に語りかけるかたちで、断じて否定したのである。
なぜ、今上天皇がこれほどまでの護憲姿勢を見せたのか。そのルーツに自身の戦争体験があることは間違いないが、一般の国民と違うのは、明仁天皇が憲法で定められた「象徴天皇」として、戦後日本の平和主義、民主主義との両立を模索し続けてきたことだろう。
言うまでもなく、日本国憲法第一条は天皇を「象徴」とし、その地位は主権者たる国民の「総意」に基づくと定めたが、憲法成立過程の研究において「象徴天皇制」は「戦争放棄」とセットだったという見方が強い。本来、「民主制」や「基本的人権」からもっとも遠い天皇制というシステムのなかで、いかにして人々とともに歩んでいけばいいのか。極めて特異かつ難解な自問自答を繰り返してきたはずだ。
「私」と憲法との関係をめぐる、気が遠くなるほどの省察、その最終地点として、明仁天皇は「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」と、自らの言葉で国民に訴える決断を下したのだ。これは、天皇に許される目一杯の「反改憲宣言」に他ならないだろう。
即位からずっと、反戦平和主義と護憲の姿勢を示し続けた明仁天皇と美智子皇后。その存在が、強い戦前回帰志向の安倍改憲に対する一種の“抑止力”となってきたことは、まぎれもない事実である。しかし、平成時代も残すところ約一年。危惧されるのは、この「平和主義の護憲派天皇」という逆説を失った国民世論が、一気に、政権によって好戦的な方向に流されてしまうことだ。
実際、安倍政権と一部の保守勢力は長らく、現在の皇太子と雅子妃を今上天皇・皇后とは逆の方向に導くため、水面下で策動しているという見方も根強い。これについてはまた稿を改めるが、いずれにせよ、皇太子徳仁親王に明仁天皇のような在り方を漠然と期待するだけでは意味がないだろう。「平成の終わり」は、平和を望むわたしたちひとりひとりが、日本を戦争へと向かわせる改憲に、あらためて対峙すべき時代となるのだ。
(編集部)
最終更新:2018.05.03 09:51