田崎史郎が小沢一郎から安倍晋三に乗り換えたのは“切られた恨み”
田崎氏が「いずれ」などと戯言を吐いているうちに事態は刻々と進み、“お友だち”の安倍首相は次々とその野望を達成しようとしている。そう、「いずれ」ではもう手遅れなのだ。
しかも田崎氏の言う「いずれ」は大きな欺瞞を孕んでもいる。というのも田崎氏は、過去にべったりだったはずの小沢氏との間で、記事にしない約束だった「オフレコ懇談メモ」を月刊「文藝春秋」(1994年10月号)で大暴露したことがあるのだが、その動機はジャーナリストとしての良心などとはかけ離れたものだったからだ。
田崎氏が暴露したこのオフ懇メモは、10数年間にわたる膨大なものだった。そこには小沢氏が同志や首相経験者に対して、「(中曽根康弘元首相は)担ぐミコシは軽くてパーがいい」「(竹下登元首相は)大変なワル」「(海部俊樹元首相は)本当にバカだな」「キャパシティが狭いんだ」などケチョンケチョンにけなす内容が書かれており、その後の小沢氏のイメージを決定付けたものでもあった。当時、オフ懇暴露は信義違反であり記者として反則との批判も巻き起こり、時事通信社からも処分を受けている。
もっとも、権力者に関する知られざる政治手法の裏面や本音を伝えることは、国民の知る権利であり、時にジャーナリズムにとって必要なものだ。しかし問題は、田崎氏の動機だった。実は、オフ懇暴露の2年ほど前、田崎氏は小沢氏から理由も告げられないまま“切られて”いたのだ。実際、オフ懇暴露の心中について「文藝春秋」でこう記している。
「私は断絶以降の半年間、本当に苦しい思いをし、他社の小沢氏と親しい記者に会うのが恥ずかしかった」
つまり、田崎氏はジャーナリストとしての信義ではなく、理由もわからず“切られた”ことへの怨嗟、つまり単なる自分個人の都合で昵懇だった権力者を売ったことになる。加えてこの時期は、小沢氏が担ぎ上げた細川政権や羽田政権が短命に終わるなど、政界は混乱を極め、小沢氏は初めて与党から滑り落ちた時期でもあった。そう考えてみても、田崎氏の「いずれ書く」など単なるエクスキューズでしかないことは明らかだろう。
しかも田崎氏は“ポスト安倍”に向かって次の“寄生”にも余念がないようだ。昨年末には政界サラブレッド対談本『小泉進次郎と福田達夫』(文春新書)が出版されたが、その司会に田崎氏がちゃっかりおさまっていた。この様子だと、まだまだ私たちの頭を悩ませてくれるらしい。ここまでくるともはやある意味脱帽である。
さすがは、本サイトの新年特別企画「安倍政権御用ジャーナリスト大賞」の大賞受賞者。もし文春のアンケート企画に次回があれば、ぜひ「嫌いなコメンテーター」のワースト1位に輝いてもらいたい。
(編集部)
最終更新:2018.04.13 12:05