安倍政権や日本会議が押し進める「不寛容」な社会
「『これが正しい家族の形だ。それ以外はかわいそうだ』、そんなのって差別的だよ」という言葉、これは『弟の夫』において重要なセリフである。
父と母と子どもで構成される家庭がある一方で、涼二とマイクのように男二人で築く家庭があってもいいし、弥一と夏菜のような父子家庭があってもいい。どういう家庭が正しいというのはないし、どういう家庭が間違っているということもない。
しかし、現在の日本社会は、そのような「多様性の許容」とは180度真逆の方向性に向かって急速に舵が切られている。
たとえば、近年、保守的な家族規範が押しつけられる風潮がどんどん強まっている。「教育勅語は、親孝行などいいことも言っている」と政治家が平気で公言したり、10歳の子どもに親への感謝を強要する1/2成人式が流行したり、子どもが事件や事故に巻き込まれるたびに母親がバッシングされたり……。
その象徴的な存在ともいえるのが、日本会議の意向を強く反映した自民党の改憲草案にある「家族は互いに助け合わなければならない」という、いわゆる家族条項だろう。一見もっともらしいことを言っているようにも見えるこの条項は、その蓋を開けてみれば、家父長制の復活を目論むかのような旧来的な家族像や性役割を押しつけるものであり、個人の価値観や多様性など一顧だにせずマイノリティを排斥しようとするものでもある。また、それは、国家が担うべき社会保障がすべて家族内の自己責任に押しつけられるということも意味する。