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柳広司、中原昌也、松尾スズキ、恩田陸、赤川次郎…高まる“オリンピック圧力”に抗い、東京五輪に異を唱える作家たち

赤川次郎、中原昌也がオリンピックをめぐる同調圧力に怒りを表明

 その共謀罪だが、強行採決に向けての議論のなかで、「オリンピックのためのテロ対策のために必要」というむちゃくちゃな話のすり替えをされていたのは記憶に新しい。

 この論法は完全に嘘っぱちで、共謀罪などなくても現行法でテロ対策はしっかりとできるし、だいいち、東京はその「治安の良さ」を売りにしてオリンピック招致をしていたはずで、これでは話があべこべだ。だったら、東京にオリンピックなど呼ばなければいい。

 赤川次郎氏は共謀罪が強行採決された直後、6月15日付朝日新聞朝刊にこんな文章を綴っている。

〈これがなければ五輪が開けない? ならば五輪を中止すればよい。たったひと月ほどの「運動会」のために、国の行方を危うくする法律を作るとは愚かの極みだ。五輪は終わっても法律は残るのだ〉

 共謀罪は人権を著しく侵害する危険のある悪法だが、「オリンピックのため」というスローガンのもと、個人の生活や命や人権までもが犠牲にされてしまう国など、いまどき中国か日本くらいのものだろう。

 こうした冷静な判断さえ奪ってしまうオリンピックの熱狂とは何なのか。中原昌也氏は「SPA!」(扶桑社)2017年9月19日・26日合併号掲載の坪内祐三氏との対談のなかでオリンピックへの熱狂に対し、このように冷や水を浴びせかけた。

「そもそもオリンピックとかで、自分が属したつもりになっているものが代わりに戦ってくれるみたいな感じがすごく嫌い。いわゆる代理戦争みたいなもんで、お前は何もしてないだろうと」

 それを言っちゃお終いよ、と思わず笑ってしまいそうになるが、この「代理戦争」の心理は一笑に付していい問題ではない。それはナショナリズムにつながってくるものだからだ。

 指摘するまでもなく、そのような心理は、スポーツを通した人間育成と世界平和を目的としたオリンピックの思想とは180度真逆に位置するものである。中原は同対談で続けてこのようにも話している。

「なんか、オリンピックとかでナショナリズムが高まっていくのがすごく嫌で……。スポーツに対する思い込みかもしれないけど、ナショナリズムみたいな盛り上がり方はスポーツマンシップとは逆の感じがするんですよ。すごく不健全な感じがして」

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