百田尚樹の差別性を糾した阿部記者に百田が放った下劣すぎる言葉
いや、「本土」は無関心でいるばかりか、沖縄への差別まで助長させているのが実態だ。その筆頭が『ニュース女子』問題であり、沖縄デマを垂れ流しているネトウヨ文化人の“活躍”だろう。
そうした現実とも阿部記者は向かい合う。阿部記者は先日10月27日に名護市で講演会をおこなった百田尚樹氏が、高江の反対運動の現場に行ったときのことについて「中国や韓国から来ています(と参加者の内訳を同行者に説明され)、嫌やなー、怖いなー、どつかれたらどうすんの(と返した)」と話したことに対し、その差別性を本人に問いただした。
しかも、11月6日付けの阿部記者が執筆したコラムによると、〈壇上でマイクを握った百田氏は、最初から最後まで私を名指しして嘲笑を向けてきた〉といい、挙げ句、「中国が琉球を乗っ取ったら、阿部さんの娘さんは中国人の慰み者になります」とまで言われたのだという。
百田氏の発言はあまりに下劣で言葉を失うが、さらにネトウヨは先日放送された関西のニュース番組『キャスト』(朝日放送)の取材を受けた阿部記者が「中間中立で報道しているという気は確かにない」と発言したことを「やっぱり偏向している」などと攻撃している。
しかし、権力を笠に着てやりたい放題の限りを尽くす安倍政権の蛮行の前では、「中間中立」の報道こそが「偏向報道」と呼ばれるべきだ。市民が国家権力による圧倒的な暴力に晒されるなか、市民の側に立って報道する。国家の欺瞞を指摘する。権力と市民の力の差を考えれば、そうしなければ「公正」な報道とはけっして言えない。
阿部記者は、本書のなかでこのように綴っている。
〈沖縄の山奥で起きるこういう現実を山奥に封じ込めさせないため、記者は足を運んだ。高江ではこの国のむき出しの権力、本当の姿が表れていた。それを記録し、有権者に判断材料を提供することが、民主主義を機能させるために欠かせない。警察までが中立の立場を放棄した後、第三者は私たち記者しかいなかった〉
〈きょうの沖縄は、あすの本土である〉。沖縄と同じことが、いつ「本土」で起こってもおかしくはない。市民の立場から警告を発する沖縄メディアの然るべき姿勢を見て、「本土」メディアは猛省してほしい。
(編集部)
最終更新:2017.11.10 08:46