過剰な締め付けは彫り師を地下に潜らせ、逆に健康被害を誘発させる
今回の判決で裁判長は「細菌やウイルスが侵入しやすくなり、皮膚障害を起こす危険性がある」と判決理由を説明した。入れ墨を入れる行為は衛生面において十分な注意を要する行為であり、知識や技能が不十分な者が行う場合、健康被害を出すおそれがある、というわけだ。
実際、使い捨て針を使用しないで針を使い回すような、ごくごく一部の悪質な業者の施術により肝炎やHIVなどの感染が広がっているとの話もあり、健康被害対策についての議論はもちろん必要だが、だからといって医師免許を必須とするような非現実的な制度設計をした場合どうなるかは前述の通りである。可視化できない状況に追いやることにより悪質な業者は増え、かえって健康被害を増大させる結果を招く可能性が多く指摘されている。
また、当の彫り師たちも、今回裁判で指摘されているような衛生面や健康被害に関し何の対応策も提示していないわけではない。
昨年5月放送「BAZOOKA!!!」(BSスカパー!)には、彫り師の岸雅裕氏と弁護士の吉田泉氏が出演し、彫り師の医師免許問題に関して語っているが、そのなかで吉田弁護士はこのように述べていた。
「「針を身体に入れるという行為なので医師法違反」というのは馬鹿げてますけれども、かといって無制限でいいのか、何もなしで野放しでいいのかというとそれも違うかなと思います」
「いま考えているのは、岸さんをはじめ一流の方々が最低限守っている衛生面の基準というのがあって、それを抜き出してガイドライン化して、で、「彫り師の方々、これ守ってくださいね」というような法整備をしていくべきだと考えています」
彫り師のための免許制度を新たに設けるなどの案はこれから積極的に議論されてしかるべきだろう。それは衛生面の注意徹底や健康被害の防止に確実に寄与するし、実際海外ではそうした制度をとっている国もある。だが、現在の日本の動きは180度真逆のものである。
彫り師に対して頑に医師免許を求めるような強引な施策をとれば、これまで述べてきたように、逆に危険を招くということぐらい誰でも容易に想像がつくことだ。
しかし、それにも関わらず、なぜこのような状況になっているのか。その裏には「入れ墨の文化など消えてなくなろうとどうでもいい」、「入れ墨を入れる人の健康状態がどうなろうと知ったことではないし、入れ墨自体消えてほしい」という偏見と差別が行政の心の内にあるからだろう。
行政だけではない。ここ最近になり、ロック・ヒップホップなどの音楽や、スポーツ文化からの影響でファッション感覚のタトゥーが若者を中心に広く受け入れられるようにはなったが、それ以前は刺青というと反社会勢力のイメージが強くあり、その印象は日本社会から現在も消えてはいない。
たしかに、江戸時代刺青は刑罰として用いられてはいたが、その時代の刺青は、遊女と客の愛情の印としての「入れぼくろ」や、火消し・鳶職人・飛脚といった職業の人々に愛されるなど、町人文化の「粋」として受け入れられていたものであった。
その潮目が変わったのは、明治以降。欧米人の目を気にした政府が警察犯処罰令により刺青を処罰の対象としてしまったのだ。これは第二次世界大戦後まで続き、〈刺青は、禁止された七十六年の間にすっかり裏社会のものになってしまったのである〉(宮下規久朗『刺青とヌードの美術史 江戸から近代へ』日本放送出版協会)とされている。こうしたイメージがいまだに日本社会に根強く残っている。
菊地成孔氏は前掲「withnews」のなかで「実際に嫌な目に遭ったわけではなくても、とにかくタトゥーは嫌だという人もいるでしょう。差別心ってそういうものですから」と語っているが、今回の判決の報道を受けて「身体に絵を描く馬鹿」という言葉がネット上を飛び交うなど、実情を知らない、また、知ろうともしない人が多い構図は改めて浮き彫りになった。