「創氏改名」の正当化から在日差別につなげるヘイト・コンボ
まだまだ、百田本からトンデモ言説をあげていけば枚挙にいとまがない。たとえばいわゆる「創氏改名」にしても、百田はこうがなりたてる。
〈もともと「創氏改名」は、多くの朝鮮人が日本名に改名したいという要望が多かったために為されたという側面もあります。その結果、届け出した朝鮮人の八割が「氏」として日本名を登録しました。〉
〈(在日韓国・朝鮮人が)「かつて自分たちは名前を奪われた」と言うなら、今すぐにでも通名を捨てて本名を名乗ればいいと思うのですが、そうしない理由は何なのでしょう。そこには、かつて朝鮮半島で朝鮮人がこぞって日本名を名乗ったのと同じ理由があるような気がしてなりません。〉
ようは「創氏改名」の歴史を歪曲したあげく、在日コリアン差別につなげるというコンビネーションをぶっているわけだ。
そういえば百田は昨年も、千葉大医学部の学生3名が集団強姦致傷容疑で逮捕された事件で氏名が未公表だったことについて〈犯人の学生たちは大物政治家の息子か、警察幹部の息子か、などと言われているが、私は在日外国人たちではないかという気がする〉とツイートしていた(のちに容疑者らの氏名が公表されなかったのは、そのうちの一人が“法曹界の名家”であることを警察が配慮した結果だと報じられデマが確定)。
この手のネトウヨ的ヘイトデマも、さすがにいい加減にしてもらいたいのだが、念のため言っておく。在日コリアンのなかに、いわゆる通名で生活している人たちがいるのは、お前らのような差別主義者がのさばっているからに他ならならない。そして「創氏改名は強制ではなかった」という主張も、明らかに歴史の一面だけを切り取って矮小化しているだけである。
少々複雑なので詳しくは別の機会に譲るが、「創氏改名」について少なくとも最低限の知識として知っておかねばならないのは、日本統治下において「創氏」は法的に義務化されたこと、そして、名を日本式とする「改名」はたしかに表向き認可制ではあったが、「内鮮一体」政策のなかにおいて圧力があったということだ。朝鮮近代史・東アジア関係史を専門とする水野直樹・京都大学人文科学研究所名誉教授の著書からひいておこう。
〈創氏改名は、朝鮮人が役所に届出をし、また裁判所の許可を申請するという形式をとった。それだけを見るなら、それぞれの朝鮮人の自発的意思にもとづくものということになる。しかし、それはあくまで建前にすぎなかった。
「内鮮一体」と氏制度の創設が「大和大愛の肇国精神」、天皇の「大御心」によるものである以上、それを拒否する者は「皇国臣民」ではない、「非国民」だ、という理屈が大きな圧力となって朝鮮人にのしかかった。
そしてさまざまな形での創氏の「指導」「周知」「督励」が個々の朝鮮人に対してなされた。それは行政の末端機関が行なったというより、朝鮮総督府あげての「督励」であり強制であったといわねばならない。〉(『創氏改名』岩波書店)
逆に言えば「創氏改名」は、「内地(日本人)」からの差別的な扱いによって半ば強制されたものとも言える。その意味でも、百田が在日コリアンに対して〈なぜ今も本名を伏せて日本名を名乗り続けているのか〉〈日本人のふりをして生活している〉(百田本)などと言いふらしているのは差別/被差別関係、あるいは支配/被支配関係を肯定していることに他ならない。まぎれもなくヘイト本以外の何物でもない。