「“二重生活は嫌だ”と反対する夫ともめたんです。私は子ども中心で考えたいのに、結局押し切られた」(県外避難がかなわなかった30 代女性)
「夫の親は“爆発からもう5年もたった。安全だ”と言いますが、私は“まだ5年しかたっていない”と言いたい。でも夫との間で放射線に関する話はしません。話せばもめますから」(2人の子どもをもつ30代女性)
水面下で、しかし着々と進む家族の亀裂。そして放射能の問題を口にすれば離婚しかないという現状。その事情は様々だが、しかしいずれも原発事故がなければ決して起きていなかったはずのものだ。
しかも今年3月、一部を除く避難区域の解除に伴う帰還事業と、自主避難者への住居の無償提供が打ち切られる方針だ。そうなれば経済的、心理的、そして子どもの健康、教育問題など、これまで以上に様々な問題が避難者たちに大きくのしかかり、追い詰められる家族がさらに増えることは想像に難くない。
ようするに、この日の『あさイチ』はこうした現実があるのに、「離婚が減っている」などというデータをもちだしていたのだ。無神経としかいいようがない。
というか、そもそも、震災を語るのに、ざっくりした全国データを意味ありげに並べることにいったいなんの意味があるのか。むしろ、福島をはじめとした被災地がいまも抱える問題に蓋をして、社会を分断させることにしかならない。おそらく、柳沢はそう指摘したかったのだろう。
もちろんこの問題は『あさイチ』に限ったことではない。震災報道全体、そして社会の空気や政府の姿勢にもいえることだ。震災以降、この国では「絆」「みんなでひとつになろう」「前を向こう」といったざっくりとした美しい言葉をやたら声高に叫んで、震災、原発事故によって起きている過酷な現実をごまかしてきた。
しかし、いくら言葉で「絆」を強調したところで、問題は解決しない。むしろ、美しい言葉とは裏腹に、現実はどんどんグロテスクになっていく。被災者は隅っこに追いやられ、誰も被災地の問題に見向きもしなくなり、美しい物語からこぼれ落ちたいちばん過酷な状況にある人が、いちばん虐げられ、ものが言えなくなっている。
震災と原発事故から6年。柳沢の静かな怒りは、私たちはそのことを思い出させてくれたといっていいだろう。
(伊勢崎馨)
最終更新:2017.11.21 12:48