いや、まったくの近代史的な概略の記述で、全然イデオロギーを感じないとしか言いようがないのだが、しかし、この「南京虐殺事件」という言葉に反応したネット右翼たちは、またぞろ〈村上春樹は反日極左ですね。本を売るため支那朝鮮に媚びます〉〈村上春樹って反日の帰化在日でしょう〉〈村上春樹を不買運動しよう!〉などと喚き散らしているというわけだ。
毎度のことながら、そのヒステリックぶりに嫌気がさす。しかし、これが全然笑い話ではないのは、こうしたネトウヨの声を拾った産経新聞が「村上春樹さん新作、『南京事件』犠牲者『四十万人というものも』で波紋」なる記事を公開(3月7日付電子版)。ここぞとばかりに参戦してきたことである。
〈南京事件の犠牲者数について中国側は「30万人」と主張。日本では近年の研究でこれが誇大だとの見方が定着しており、「事件」というほどの出来事はなかったとの意見もある。〉
〈ネット上の掲示板にも「中国が主張する30万人より多い」「根拠を示して」といった書き込みが相次いだ。〉
〈立命館大学の北村稔名誉教授(中国近現代政治史)は「死者40万人の根拠が何なのかは分からない。小説の中の一登場人物のセリフではあるが、村上さんが世界的権威のある作家だけに、今後、中国側がこのことを針小棒大に政治利用してくる恐れもある」と懸念する。〉
一応もう一度確認しておくが、作中の登場人物のセリフは「(南京事件の)中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます」というもので、別に断定していない。ところが、産経新聞は「40万人」という数字を取り上げて、「中国の言い分より多い!」「捏造だ!」「プロパガンダだ!」「根拠を出せ!」とがなりたてているわけである。
アホらしい。そもそも、市民や捕虜に対する虐殺が行われたのは日本政府も認めている事実だ。そして、作中でも「四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」と疑問が呈されているように、また、昨年逝去した三笠宮崇仁親王もかつて「辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません」と語っていたように、常識的に考えても「10万人ならば虐殺ではない」などとは決して言えないのだ。
そのうえで、産経に教えておいてやるが、作中の「四十万人というものもいれば」という部分の根拠がどこにあるかというと、そのひとつは、他ならぬ御社の記事なのである。実は産経はかつて、南京攻略後の日本兵の行動をこのように報じていた。
〈日本軍はまず、撤退が間に合わなかった中国軍部隊を武装解除したあと、長行(揚子江)岸に整列させ、これに機銃掃射を浴びせて皆殺しにした。
虐殺の対象は軍隊だけでなく、一般の婦女子にも及んだ。〉
〈こうした戦闘員・非戦闘員、老若男女を問わない大量虐殺は二カ月に及んだ。犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである。〉