「結局ミュージシャンも社会の中で生きているので、今の世の中の状況に影響されて当然ですよね。世界を見渡してみると戦乱の国が多く、日本だって大きな問題を幾つも抱えている。本音ではミュージシャンとして華やかな世界にいる図式に、罪の意識もありました。勿論音楽は人の心に寄り添える大切なもの。ただ間違いなく今の世界情勢は冷戦時のごとく不安定です。考えたくないですけど、もし集団的自衛権が悪いほうに暴走したら戦乱に巻き込まれる可能性も否定できないし、最悪の場合、日本が戦場になる可能性だってもうないとは言えない。そうなったら当然音楽なんてやってる場合じゃないですよね。戦争をする理由は一つだけではないですが、近年の多くの戦争の動機は、突き詰めれば一部の兵器産業や石油メジャーの経済活動の代償とも言えるじゃないですか。そのために弱き人々が犠牲になるという構図は、それは世の中で最も醜悪だし、一人の人間としてどうしても許してはいけないでしょう。そういったことを学んでしまうと、ただいい車に乗って綺麗なお姉さんを連れ回すだけの人生は送りたくなくなってしまうのは仕方ないですね。でも僕のように考えているミュージシャンは少なくないはずですよ」
しかし、現在の日本で彼のような活動を行えているミュージシャンはそんなに多くはない。特に、「音楽に政治をもちこむな」などという、ポップミュージックの歴史を踏まえればバカげているとしか言いようのない言説でも、ある一定数の人々から支持を受けているような現状ではなおさらだ。そんな状況について彼はウェブサイト「club Zy.」のインタビューでこう不満を漏らす。
「特に、日本は酷い。社会的な認識と、表現の世界が、かけ離れすぎてる。俺の考えだと、音楽は当然ながら、あらゆるアートは社会のうねりと同時進行しているべき。そこから表現が生まれ、言葉が生まれ、音楽が生まれてきたんだよ。それが、日本は教育のせいなのか、社会の暗黙のルールなのか、思い切り乖離してしまっている。
(中略)
とにかく良くも悪くも、世の中の出来事と表現活動はリンクしているべきものだと思っている。
ところが、日本はあまりにも違う。もちろん音楽の純粋な楽しさや感動は大切なんだけど、その楽しさや感動を人々に供給する立場であるからこそ、人として社会と向き合わないといけないと思う」
もちろん、ラブソングでも切実な歌はあるし、それがくだらないものというつまりはないが、あまりにもそればかりが跋扈し、社会的な問題を訴えかけるような歌は異形なものと見なすような風潮が蔓延し過ぎている。
彼のこれからの活動には、そんな状況を脱するためのヒントが隠されているかもしれない。前掲「ローリングストーン日本版」で彼はこのように語っている。