周知のとおり、プルトニウムは原子爆弾の材料であるが、一般的な原子炉(軽水炉)でつくられるプルトニウムは純度が約60%と低く、核兵器の製造に適さない。一方のもんじゅは、こうした低純度のプルトニウムを燃料として高純度のプルトニウムを増産する。その純度は実に90%以上で、核兵器転用には十分すぎる数字だ。ようするに、もんじゅは、原発用プルトニウムを核兵器用に変換・増殖させる“フィルタリング装置”なのだ。
このように、日本の原発と核燃料サイクル計画は、核兵器の製造能力と密接に結びついている。「飽くまでも核保有の選択肢をカードとして持つべきである」(「諸君!」03年8月号/文藝春秋)とする櫻井率いる国基研にとって、原爆の材料を生み出してくれる(と信じて疑わない)もんじゅは、まさに“夢の原子炉”というわけだ。
そして、この極右シンクタンクによる「日本を核保有国にしたい」という野望は、繰り返すが、戦後自民党政権の政策とぴたりと一致している。たとえば1969年には、外務省内で「当面核保有はしないが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(潜在能力)は常に保持する」との方針が打ち出されている(太田昌克『日本はなぜ核を手放せないのか』岩波書店)。この方針は、現在の自民党にも受け継がれており、事実、東日本大震災での未曾有の原発事故直後の2011年ですら、当時自民党政調会長だった石破茂が『報道ステーション』(テレビ朝日)でこのように述べている。
「日本以外のすべての国は、原子力政策というのは核政策とセットなわけですよね。ですけども、日本は核を持つべきだとは私はおもっておりません。しかし同時に、日本は(核兵器を)つくろうと思えばいつでもつくれる。1年以内につくれると。それはひとつの抑止力ではあるのでしょう。それを本当に放棄していいですか、ということはもっと突き詰めた議論が必要だと思うし、私は放棄すべきだとは思わない」
なにより安倍晋三自身、潜在的な核製造能力どころか、核武装に前のめりだ。安倍は官房副長官時代の2002年、早稲田大学で開かれた田原総一朗との学生向けシンポジウムで、「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね」と発言。06年にも「核兵器であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」と答弁書に記している。また今年8月15日、安倍首相がハリス米太平洋軍司令官に「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」と伝え、オバマの核軍縮政策に反対していた事実を米ワシントン・ポストが報じたのは記憶に新しい。
今月21日早朝に福島県沖で発生したマグニチュード7.4の地震で、福島第2原発電3号機の使用済み核燃料プールの冷却装置が停止したとの一報が入ったときには、誰もがあの3.11原発事故を想起しただろう。
極右シンクタンクが叫びたてるもんじゅの存置、そして安倍政権の原発再稼働政策と核燃料サイクル推進。「核の平和利用」というのがいかに幻想にすぎないか、わたしたちは被曝国で生活する者としてしかと自覚するべきだ。
(伊勢崎馨)
最終更新:2016.11.30 03:29