〈巨人にいたころ、4年契約のところを3年で辞めてくれと言われました。そのとき僕はプライドを優先して辞めたから、いまの小林さんの気持ちが手に取るようにわかります。辞めてくれと言いに来たのは(長嶋)一茂だったんです。(略)なんで一茂に言われなきゃならないのか。頭にきて球団に直談判に行きました(略)。その翌年のシーズンのことです。巨人はふつう、クリーンナップに打順の変更があれば、監督に言われるんです。それなのに何も言われず7番に落とされました。僕、4打席バット振らないでやろうと思ったら、2打席目でいい球が来ちゃって、思わず降ったらホームランになった。でも、僕は反抗してハイタッチをしなかった。それで、反逆罪でベンチを外されました。それは組織にいる限りしてはいけないことでした。後悔はしていないけど悔いています。組織とはそういうものだと、いまは悔いています〉
小林は清原直接、現役時代の覚醒剤使用について問うたこともあったという。すると――。
〈「やってないです」と清原さんは俺をまっすぐ見て否定した。(中略)「やってたらボール見えないでしょ」〉
2人の間には常に覚醒剤があったが、奇妙な友情が芽生えていたようだ。ところが、そんな状況に暗雲立ち込めはじめたのは、15年2月15日、Dが覚醒剤取締法違反で捕まったことだった。
なぜか清原を逆恨みしていたDは、刑事に清原に連絡しろと指図し、信じない刑事に清原が覚せい剤をやっていると証言、その上で清原に関する上申書を提出したという。
さらにその後釈放されたDは、15年5月10日の深夜、群馬県内で小林を見つけてこんなやり取りをしている。
〈「コバ、なんで電話出ねぇんだよ」
「俺の勝手だろ。それより、アイツらなんだよ。
俺はDの車を顎でさした。
「「週刊文春の記者だよ。俺、捕まってさ」>
さらに小林とDは近くのファミリーレストランに入るが、Dはその際驚くべき発言をしたという。
〈「キヨのネタと引き換えに文春が保釈金を出してくれたんだ。でも、俺の話だけでは記事にできないって言うから、コバの証言が必要なんだ。キヨがシャブをやってることを洗いざらい喋ってくれ」〉
この間、Dが 文春記者だと言う2人の男は車から降りず、名前も名乗らず、名刺も出さなかったというが、さらにDはこんなことを小林氏に話したという。
〈いまから言うことを聞き入れてくれないと、文春が桐生署に飛び込む手筈になっている。そしたらコバ、捕まるから〉
〈「文春にいままでのことを全部は話してくれ。それからキヨとは一切連絡とらないと約束してくれ」〉
〈「いま、文春と警視庁がキヨをパクろうとして動いている」〉