現に、「週刊文春」の取材に応じた広研の学生は、暴行の模様がスマートフォンを通じて実況中継されていたことを明かし、「みんなで酒を飲み始めて、夜の十時半ごろ、アレが始まったんっすよ。写真見ます? マジ、ヤバイっすよ。芸術作品っすよ」「このとき、A子は意識がないんですよ」と記者に写真を見せながら“解説”。「これ、いくらで買いますか?」「買うなら今!」などと売り込んでさえいる。
この「週刊文春」の取材からは広研メンバーの“事の重大さ”をまったく理解していない様子が透けて見え、早稲田大学の「スーパーフリー事件」のように、女子学生への性暴力が常態化していたのではないかという疑いさえ浮かぶ。少なくとも、こうした広研メンバーの男子学生には、女子学生を性的客体としてみる感覚があったことはたしかだろう。
しかも、もうひとつ、注視しておかなければならないのが、この「ミス慶應コンテスト」、そして広研というサークルが、ただの学生の活動にとどまらず、マスコミと一体化していることだ。前述したように、“女子アナウンサーへの登竜門”になっていることはもちろん、過去には「ミス慶應」の「クライアント賞」のメインクライアントが日本テレビだったこともあったという。
また、事務局の学生スタッフたちも活動を通じてマスコミとの関係を深め、卒業後、テレビ局や出版社、広告代理店に就職している者も多い。
そもそも、ミスコン優勝・入賞者を女子アナとして採用することが慣例化していること自体おかしいと言わざるをえないが、それに加えて、女を性的客体化するような価値観をもったこういう連中が、そのままマスコミで情報やコンテンツを発信しているのだ。
メディアにはびこる性差別の根っこは、思った以上に深くてグロテスクだ。
(伊勢崎馨)
最終更新:2017.11.24 07:30