「配偶者は自分がずっと経済活動をしてきて、その資産を公開することについて、やはり配偶者自身のプライバシー、自分のプライバシーについてやや抵抗があったのも事実だ」
“夫がどんな銘柄の株を買っていたって関係ないでしょ”“なんで公開しなきゃいけないの”と言わんばかり。
いったい何を言ってるんだろう、この人は。どうも、自分の政治家としての活動と夫の経済活動は別として幕引きを図ろうとしているようだが、そもそも、弁護士だった稲田氏の政界入りのきっかけのひとつは、ほかならぬ夫の龍示氏の存在だ。
産経新聞2014年10月27日付に掲載された記事「【単刀直言】特別編 稲田朋美・自民政調会長 朝日は「百人斬り」精査を」のなかに、東京・銀座の人気串かつ店で、稲田氏と記者、そして龍示氏の談笑の模様が掲載されているのだが、そこで稲田氏は龍二氏との関係をこんなふうに語っている。
〈稲田さんが「地元の酒を紹介したい」と、福井の地酒「花垣」の大吟醸を持ち出した。冷やを一口含むと、舌先を滑るような丸みと、濃縮したコメのうま味が溶け合う。
「主人が間もなく東京駅に着くのよ。ここに来てもいいかしら」
携帯電話を閉じた稲田さんの目が輝く。稲田さんの政界進出へ背中を押したのは龍示さんだったという。
「平成17年の衆院選に出るにあたり、父からは『だれが子供の面倒を見るんだ』と批判されたが、主人は『君のやりたいことを実現するには自民党の衆院議員になるのが一番の近道』と言ってくれました」〉
稲田氏は弁護士時代から歴史修正主義団体「自由主義史観研究会」に入会し、「百人斬り裁判」の原告側に参加するなど極右志向が顕著で、その縁で安倍晋三から直接出馬を要請されたことは有名な話だが、その彼女の政界入りの背中を押したのは、89年に結婚した夫の龍示だった、というのだ。
事実、龍示氏は稲田氏の政界転身前後からその政治活動を陰でバックアップしてきた。05年の郵政選挙で刺客として稲田氏が初出馬した際の選挙運動では、「大きなリュックを背負い、聴衆の後ろから一人一人に丁重に頭を下げながら選挙ビラを手渡していた」。以後も、選挙戦でたすきに使う布を買いに走ったり、福井県の選挙事務所で「おしゃべり好きな来客」の聞き役を務めるなど、「黒子」として政治家・稲田朋美を支え続けたという(産経新聞13年6月7日付)。
そして龍示氏は本職でも稲田氏の代理人弁護士として支援。昨年、稲田氏が選挙時に地元の献金企業などに「ともみの酒」とのラベルを貼った日本酒を贈呈していたと2回に分けて報じた「週刊新潮」(新潮社)に対し、慰謝料500万などを請求する名誉毀損裁判を起こしたことは記憶に新しい(16年4月大阪地裁で敗訴)。さらに、龍示氏はこの「ともみの酒」問題をめぐって、「週刊新潮」に圧力をかけていた。
「週刊新潮」15年4月9日号によれば、龍示氏は、「新潮」側が取材を申し込んだだけで記事掲載前にこんなファクスを送ってきたという。