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小泉今日子が上野千鶴子との対談で「劣化ジャッジ」的価値観を批判!「アンチエイジング」「美魔女」にもNO

 男が若さという価値で女を値踏みしてきたことで、女自身もそれを内面化し、「自分の賞味期限」とともに「別の女の賞味期限」に敏感になる。だからこそ、タレントの劣化問題を厳しくジャッジするのも女だったりする。だが、小泉のようにそうした不毛な争いから一歩引いて「老化は進化」と捉え、ときには怯まず「喧嘩上等」と啖呵をきる。そうすれば、どれだけ女たちは軽やかに、いきいきといられるだろう。いずれもそう思わずにいられない発言だ。

 小泉は読書委員を務めていた読売新聞の書評欄で、上野と湯山玲子の共著『快楽上等! 3.11以降を生きる』(幻冬舎)をこのように評していた。

〈まもなく47歳になる独り身の私は、これから先の人生をどう生きたらいいのか、もちろん考える。今のうちにたくさん働いて将来はみんなで一棟のマンションを買って助け合いながら暮らそうなんてことをよく女友達と冗談のように語り合っている。本当は結構本気だったりする。いつの間に私の将来から恋愛や結婚、即ち男の人の存在が消えてしまったのだろう〉
〈恋愛の先にはいつも結婚や出産や家族という未来が見えていた。長い間その思いに捉われて生きていた。離婚を経験した私でもついこの間までそんな思いに揺れていた。やっと解放されたというのに今度はどこに向かっていいのか迷子のような気分だった。その原因がはっきりしたし、上野さんのいう「選択縁」「最後の秘境は他人」などの言葉に答えがあるのだと思った〉(読売新聞2013年2月11日付)

 女にだけ設定された「結婚と出産」というコースや、ヘテロセクシュアルの女にとっての「男」という“女を承認する”存在から「解放」されても、どう歩むべきかが見えない。それは多くの女たちが感じている不安かもしれない。でも、同書も示すように“女はどこでだって生き延びていける”し、いかようにも生きられる。そして、〈迷子のような気分だった〉と綴る小泉が、老いを肯定し、50歳となって舞台の企画・プロデュースに乗り出すという行動力が、きっと迷える女たちの、ひとつのロールモデルになっていくのではないか。

 世間に惑わされず、かつヤンキー精神も同居させつつ、“おひとりさま”道をゆくキョンキョン。「50にして知命を知る」と言われるが、これから小泉がどのように固定概念を崩していくのか、大いに期待したい。
(大方 草)

最終更新:2017.11.24 06:37

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