そして、実際の写真集づくりでも、オリラジのネタや「PERFECT HUMAN」と同じように、中田がコンセプトを立て、中田主導で進められた。“同性の同棲”という設定も、おそらく中田のアイデアだろう。
では、中田はいったいなぜ、そんな写真集をつくろうとしたのか。福田萌と結婚して家庭を築いている中田と、さまざまな女性と浮名を流す“チャラ男”キャラクターの藤森慎吾に同性愛的な要素はないし、それ以前に、中田と藤森には男同士の同居を想像させるようなコンビとしての仲の良さがまったく感じられない。二人の間に漂っているのはむしろ、中田が藤森を一方的に抑圧している主従関係であり、険悪な空気感だ(実際、一時は解散危機も報じられるなど、二人の仲が悪さは業界でも有名だ)。
にもかかわらず、中田がこんな設定を考えついたのは、明らかに「腐女子ウケ」という計算をしたからだろう。以前、バナナマンが不動産情報のCMに出演し、今回と同じようにまるでふたりが同居しているかのような演出がなされ、BL愛好家のあいだで密かな話題となったことがあったが、そうした狙いが中田にはあったはずだ。
その計算自体が「俺、今の時代のこと、わかってるでしょ」的ないやらしさ丸出しで中田らしいが、しかし、もっと問題なのはその中身だ。
現在、公表されている写真集のカットを見ると、ふたりがテーブルを囲んで中田が相方の藤森慎吾に箸で食べ物を口に運んだり、ふたりが添い寝したり、中田のネクタイを藤森が結んだりと、露骨な二人の絡みがこれでもかと強調されている。
担当編集者は「ありえる日常、普通の風景を設定した」と弁明していたが、こうした写真を見るかぎり、彼らが演じているのは「日常」などではない。世間が考えるステレオタイプな同性愛者像。しかもそれは、異性カップルの古色蒼然とした的な性役割を男同士に当てはめただけの、偏見に満ちたものだ。その背景にあるのは、異性愛こそスタンダードであるという考え方だ。
そこからは、「どうせゲイカップルってこんな感じで、いちゃついてるんでしょ」という決めつけと、同性愛者の性をネタとして嘲笑しようとする態度が透けてみえる。
たとえば、異性のカップルを描いた今どきの恋愛ドラマや映画に「慎吾、あーん」みたいなベタなシーンがあるかどうか考えてみればいい。そんなベタなことを平気でやれるのは、「男同士だったら面白い」という発想があるからだろう。かつて、とんねるずがコントで「保毛尾田保毛男」などというゲイ差別ギャグを平気で繰り広げていたひどい時代があったが、中田がやっていることはそれとほとんど大差ないのではないか。