さらに、石原は自分の父親である石原慎太郎を増田の応援に担ぎ出したが、その慎太郎が「厚化粧の大年増」などと発言したことで、女性が完全に増田にそっぽ。小池の当選を決定づけてしまったのである。
そう考えると、最初から最後まで、今回の都知事選敗北の戦犯は明らかに伸晃なのだ。それを、伸晃はこの辞任表明会見で、選挙は党本部が管理してきたのだから都連会長の自分には責任はない、責任者は谷垣禎一幹事長だ、と言い張ったのである。
「伸晃さんとしてはおそらく、本当は内田幹事長に責任を転嫁したかったんじゃないでしょうか。小池さんが出馬した後の都連の強硬姿勢はほとんど内田幹事長の主導でしたから。でも、内田幹事長は、今なお、東京都連で絶対的な力をもっているから、怖くて逆らえない。だから、今しゃべれない谷垣さんに責任をなすりつけたのでしょう」(前出・自民党東京都連関係者)
周知のように、谷垣は都知事選の公示から2日後の先月16日、サイクリング中に転倒し、頸髄損傷の重傷を負い現在も入院中。「会話ができない状態」だといわれている。まさに“病人に口なし”とばかりに責任をなすりつけるようなことをして、この男は恥ずかしくないのだろうか。
いや、こんなことをこの男に言うのは無駄か。むしろ、このような態度こそが伸晃らしさ、“ザ・石原伸晃の所業”と言ったほうがいいのかもしれない。
2014年の環境相時代には、福島県の汚染土中間貯蔵庫の施設建設をめぐって「最後は金目でしょ」と発言し、大きな批判を浴びたことは記憶に新しいが、伸晃は父・石原慎太郎と同じように“暴言”を繰り返してきた。
たとえば、11年と12年にはテレビ出演時に2度にわたって、「(汚染土を)運ぶところは福島原発第1サティアンしかない」と発言。11年には、イタリアの国民投票で原発反対派が多数となったことについて、「集団ヒステリー状態」と表現したこともあった。原発事故から間もないときより、伸晃は福島県民や原発に不安を覚える人びとの感情をまったく無視してきたのだ。
さらに、12年2月には、胃ろう患者が入院する病室を視察した際、「エイリアンが人間を食べて生きているみたいな」と感想を述べたり、13年5月1日に熊本県で開かれた水俣病の慰霊式後の懇談では、国に対する要望を伝える団体代表に対し、伸晃は携帯電話を見たり、事務方とやりとりするなど患者をガン無視。その聞く耳をもとうとしない態度には、患者から「ちゃんと聞いてくれ」と声があがったという。