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北海道の男児行方不明で「父親の殺人」のデマ…寝屋川の事件でも見せたネットとマスコミの醜悪な“子殺し事件化”願望

 言っておくが、これは結果論で言っているわけではない。権力をもつ政治家や自らメディアに露出している有名人なら疑惑段階でいろんな追及を受けても当然だろう。しかし、彼らはなんの反論の場ももっていない一般市民なのだ。そんな弱者に対して、なんの証拠もないのに探偵気取りで嬉々として「犯罪者」扱いするというのは、どうかしているとしか思えない。

 しかも、こうしたネットやメディアの暴走は今回の騒動がはじめてではない。むしろ、最近は、子どもが関係する事件が大きく報じられるたびに、事件の全容が明らかになる以前から「親の子殺し」と決めつける言説が流布されることが、パターン化している。

 たとえば、昨年2月に川崎市の河川敷で中学1年生が、少年グループに暴行の末殺害された事件では、報道直後から被害者少年の母親が犯人だとする言説がネットで跋扈した。他にも、昨年8月、大阪府寝屋川市の中学生男女2人が行方をくらましたあと遺体で発見された事件でも、ネットでは母親の犯人説や虐待死隠蔽説が流れ、一部の週刊誌記者までも、その線で取材を進めていたという。

 しかも、これらはすべて最初から捜査関係者が「ありえない」といっていたなんの根拠もないデマだった。ようするに、彼らは行方不明を心配しているわけでも、殺人事件の真相を追及しようとしているわけでもない。エンタテインメントとして事件を消費するために、最初から「子殺し」という“刺激的なニュース”をつくろうとしているだけなのだ。そしてこの自分勝手な欲望を満たすために、被害者の家族を晒し者にし、粗探しをして、袋叩きにする。

 繰り返すが、権力を持つ公人やマスコミに露出している有名人なら疑惑を徹底的に追及して言論で批判するのは当然だ。むしろ、何度チェックしてもしすぎるということはない。

 しかし、この国のメディアやネットの動きは全く逆だ。公権力を批判的に検証する報道や言論をほとんど行わず、大手芸能プロの芸能人はどんな不祥事を起こしても一切報道しない。それどころか、数少ない真っ当な権力批判を「偏向」「反日」と攻撃し、つぶしにかかる。一方で、相手が反論する術を持たない一般人となると、まるでその憂さを晴らすように嬉々として“妄想的バッシング”を繰り広げるのだ。

 この国のメディアやネットのグロテスクな状況をなんとかしないと、このつけは必ず国民に返ってくるだろう。
(宮島みつや)

最終更新:2017.12.05 10:17

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