さらに、海外視察も豪華すぎるものだった。石原氏は01年6月、ガラパゴス諸島を視察しているが、公文書によれば、その往復の航空運賃は143万8000円、もちろんファーストクラスを利用していたとみられる。しかも、この視察で石原氏は4泊5日の高級宿泊船クルーズを行なっており、本人の船賃だけで支出が約52万円。この金額は2人部屋のマスタースイートを1人で使った場合に相当するという。なお、随行した秘書などを含む“石原サマ御一行”の総費用は約1590万円だった。
訪問国や為替レートを考えると、これは、今問題になっている舛添都知事と同じ、あるいは、それ以上の豪遊を税金を使って行っていたといっていいだろう。ところが、当時、この「サンデー毎日」のキャンペーン記事を後追いするメディアは皆無。世論の反発も怒らず、追及は尻すぼみに終わった。
しかし、その2年後、石原氏の“無駄遣い”が再び発覚する。発端は、共産党東京都議団の追及だった。しんぶん赤旗06年11月16日付によれば、石原氏が都知事に就任してからの19回の海外出張のうち、資料が入手できた15回だけで、総経費が2億4千万を超えていた。たとえば、06年5月からのロンドン・マン島出張では、本来の目的であるはずの五輪の調査は実質約1時間半にもかかわらず、マン島でのオートバイレース見物などをして3600万円もの経費をかけていたという。
この再燃した豪華外遊問題に加え、石原氏が自分の四男のプロジェクトに都の税金を億単位もつぎ込むなど、身内を重用したことも問題視された。そして、湯水のように使っていた交際費についても、裁判で一部が「違法」と認定され、09年に石原氏の敗訴が確定している。
つまり、先に述べたとおり、東京都知事の公私混同&贅沢三昧は、石原都政の頃からすでに顕在化していたのだ。
さらに言えば、舛添都知事は「湯河原へ行っているときに大地震が起きたら指揮がとれないだろ!」と糾弾されているが、実は、石原氏にいたっては、都知事でありながら登庁すらせずに、たびたび“行方不明”になっていたという。
「サン毎」は04年1月25日号で石原氏の「勤務実態」についても追及しているのだが、入手した公文書によれば、石原氏の“出勤”は週平均でわずか3日程度。また、公用車の運転日誌によれば、登庁日も自宅を出るのはだいたい午前10〜11時ごろだったという。
企業の相談役でも石原氏よりは“出勤”しているのでは?と思えるサボりっぷりだが、しかも問題は、知事日程表にしばしば登場する「庁外」なる文言だ。これは、知事の動向を職員たちが把握していない日を指す。つまり“動静不明”なわけだが、これが資料に記された1年間7カ月の期間で、なんと110日も数えられたという。
つまり、今、舛添批判のひとつとなっている「都知事が緊急時に連絡がつかない」という問題についても、石原氏はその“先駆者”と言えるのだ。いや、一応湯河原の別荘にいることが分かっている舛添都知事と比較してみると、職員らが行く先を把握していなかったという石原氏のケースは「危機管理」の観点から見ても、よっぽどトンデモだろう。