いずれにせよ、憲法9条の“発案者”の議論は研究者の間でもいまだ決着を見ておらず、少なくとも安倍政権を利する「押し付け論」のプロパガンダばかりが跋扈するなか“幣原説”を丁寧に解説した『報ステ』は、不偏不党が要求されるマスコミとしての「公正さ」を示した形だ。あっぱれと言わざるをえない。
一方、メディアの矜持を見せた『報ステ』と対照的だったのが、3日放送の日本テレビ『news every.』だ。
この日の『every.』はやはり「日本国憲法を、考える」と題してその誕生の経緯を検証するというものだったが、9条発案者の“幣原説”については数秒申し訳程度に触れただけで、「平和主義の根幹はマッカーサーの指示から生まれたと言われています」とほぼ一方的に紹介。幣原、マッカーサーの両者が発案者は幣原だとしていることについても、「ただ、両者の証言は、アメリカが9条を日本に押し付けたとなると問題が大きいと考え、口裏を合わせたという指摘も多くあります」と一蹴する有様だった。
日頃から安倍首相の単独インタビューなどを“いただいている”日本テレビであるにしても、これはあからさまに「押し付け論」に肩入れしすぎだろう。しかも、こうした政権のバックアップの最たるものが、幣原内閣の外相だった吉田茂の発言の一部を切り取って放送したことだ。
「どっちが(9条を)発案したかというと、マッカーサーだと思いますね」
「ワシントンの空気、およびアメリカ軍の空気はですね、日本は太平洋の平和を破る国だと、そしてこの国を全く無力な国にしようとはかっておったことは、やっぱり事実なんですね。それから考えてみて、日本が戦争の発案者になると、発議者になるということは、是非ともやめてもらうしかないという感じがあったろうと思いますね」
たしかに、吉田は日本国憲法制定に関してこうした談話を残しており、国会図書館にもテープが所蔵されている。だが、『every.』では実のところ吉田が9条をどのように考えていたか、あるいは吉田が9条をどのように外交上の策として用いたかについて、一言も触れていない。
そもそも、吉田は「臣茂」と自称したように、徹底した天皇主義者だった。その吉田は外相としてGHQとの交渉の当事者だった頃から、天皇さえ無事であればその他の条項はさほど気にしていなかったという研究さえある。また、新憲法制定に関しても、吉田は幣原と同様、当時の大局的「国際感覚」からなる判断であったと自著で語っている(『回想十年』第2巻/中公文庫、初版1957年/新潮社)。