同じく幣原も、逝去の直前に残した回顧録で「押し付け論」をこうはっきりと否定している。
〈よくアメリカの人が日本にやって来て、こんどの新憲法というものは、日本人の意思に反して、総司令部の方から迫られてたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私の関する限りそうじゃない、決して誰からも強いられたんじゃないのである。〉(『外交五十年』読売新聞社のち中央公論新社、初版1951年)
憲法9条の雛形が生まれたとされるこの幣原とマッカーサーの“秘密の会合”は長く議論の的となってきたが、憲法記念日の『報ステ』はこれを掘り下げ、“会合で何が語られたか”についての重要な証言を取り上げたのだ。
それは、幣原の友人であり、満州鉄道副総裁などを務めた貴族院議員・大平駒槌による通称「大平メモ」の存在。これは大平が幣原から直接聞いた話をその娘に書きとらせたものだ。それによれば、幣原とマッカーサーは1946年1月24日の会談で、このように語り合ったという。
幣原「自分は生きている間に、どうしても天皇制を維持させたいと思いますが、協力してくれますか」
マッカーサー「占領するにあたり、一発の銃声もなく、一滴の血も流さず進駐できたのは、天皇の力によることが大きいと深く感じているので、私は天皇制を維持させることに協力し、努力したいと考えています」
ふたりが天皇制の維持で意思の一致を確認したあと、幣原はこう続けたという。
幣原「戦争を、世界中がしなくなるようになるには、戦争を放棄するということ以外にないと考えます」
マッカーサー「そのとおりです」
幣原「世界から信用をなくしてしまった日本にとって、戦争を放棄するというようなことをはっきりと世界に声明すること、それだけが日本を信用してもらえる唯一の誇りとなることではないでしょうか」
戦争放棄こそ、戦後日本が国際社会で信頼を取り戻すただひとつの道──。外相として行った1920年代から30年代の穏健的な対英米外交(いわゆる幣原外交)や、パリ不戦条約の際に全権大使を務めたことで知られる幣原が、心の中で平和を希求していたのみならず、「戦争放棄」を新憲法に入れることを国際情勢の上で最重要課題と考えたのは自然だろう。改憲タカ派はもっぱら9条が「日本を弱体化させた」と攻撃するが、「大平メモ」の記述はこうした暴論へのひとつの回答となりえる。