比較すればそのおかしさは瞭然だ。たとえば東日本大震災の際、当時の民主党政権が発生の2日後に激甚災害に指定したことは周知の通り。また、自民党政権のケースを振り返っても、2004年10月の新潟中越地震では、災害発生の3日後には当時の小泉純一郎首相が現地視察し、激甚災害指定を閣議決定している。また、第二次安倍政権下でも13年7月の山口県と島根県での豪雨災害時には、安倍政権は発生から4日後に激甚災害の指定を表明していた。
それが、今回の熊本大地震では前述の通り、ともに発生から9日後という遅々とした対応だ。
実はこの間、国会で「早急に現地視察すべき」「1日でも早い激甚災害指定を」という声が上がっていたにもかかわらず、安倍首相が今日まで被災地視察と激甚災害指定を引っ張ってきたのは、明日24日に控える北海道での衆院補選をにらんでの作戦ではないか、と永田町でもマスコミの間でも定説となっていた。つまり、与党不利の事前調査が出ている補選投票日の直前に、安倍首相が劇的に被災地で激甚災害指定を表明することで、選挙の風向きを変えようという目論見だ。
そしてその予想通り、安倍首相はことを進めたわけである。実際、安倍政権に近い新聞社ですら本日の報道で「地震対応に全力で取り組む姿勢をアピールする狙いもありそうだ」(読売オンライン)、「復旧、復興に向けて尽力する政府の姿勢をアピールした」(産経ニュース)と、この現地視察が“アピール”であることを報じている。
ようするに、延ばしに延ばした今日の現地視察と激甚災害指定の表明は、明らかに補欠選対策のパフォーマンス、“震災の政治利用”に他ならないのだ。
もうひとつ、安倍自民党による“震災の政治利用”を物語る、ゲスな動きが判明している。実は、14日の最初の大きな揺れのあと、未明に「本震」が発生した16日、自民党は北海道新聞朝刊にある広告を出している。それは、17日に予定されていた安倍首相の応援演説の広告で、紙面の3分の1を使って安倍の顔が大きく映し出されたもの。そこには「未来に責任 明日17日(日)、安倍晋三総裁を迎えて」というコピーとともに、こんな文言が囲みで挿入されていたのだ。
〈この度熊本地震で被災された皆さまに、心からお見舞い申し上げます。自民党では九州地方地震対策本部を設置し、救援活動に全力を挙げるとともに、政府や関係機関と連携して被災地の一日も早い復興に向けて迅速な対応を進めます。〉
つまり自民党は最初の地震発生直後、被災地が混乱の最高潮にあった最中に、安倍首相の応援演説を強行するつもりでコトを進めていただけでなく、熊本大地震をダシにしたアピール文を挿れていたのである。