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秋元康の歌詞を「女性蔑視」と批判したら、AKB運営から「名誉毀損及び侮辱罪」「記事を削除せよ」の恫喝メールが

 だったら、問題の歌詞を改めて抜き出すので読んでほしい。

〈難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい 二足歩行が楽だし ふわり軽く風船みたいに生きたいんだ〉
〈女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい〉
〈テストの点以上瞳の大きさが気になる どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない スカートをひらひらとさせてグリーのように〉
〈女の子は恋が仕事よ ママになるまで子供でいい それよりも大事なことは そう スベスベのお肌を保つことでしょう?〉
〈人は見た目が肝心 だってだって 内面は見えない 可愛いは正義よ〉

 どうだろう。これ、昨年、鹿児島県知事の伊藤祐一郎氏が「女子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」と発言して批判が殺到する事態となったケースと、全く同じではないか。いや、県知事でなくても、この歌詞にあるような価値観、つまり「女は難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい」などと発言すれば、世の中では確実にセクハラ発言認定されるだろう。

 なぜ、これが「女性蔑視でない」などということになるのか、こちらが聞きたいくらいである。どうもAKSは、何が女性差別なのか、わかっていないようなので、教えてあげよう。

 1979年に国連で採択された女性差別撤廃条約では、第一条で「女性差別」を、《「女子に対する差別」とは、性に基づく区別、排除又は制限であつて、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻をしているかいないかを問わない。)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するもの》としている。

 つまり、「女は難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい」をはじめとする秋元康の歌詞の価値観は、文化的、社会的につくられた性別役割を押し付けるものであり、立派なジェンダーハラスメント、女性差別なのだ。
 
 しかも、AKS法務部は言うに事欠いて、〈当該歌詞は、女優ディアナ・アグロンに憧れる架空の女の子のお話し〉だとしている。

 あのね、「アインシュタインよりディアナ・アグロン」が今、一番批判されているのがここなのだよ。

 言うまでもないが、ディアナ・アグロンというのはアメリカの人気ドラマ「グリー」でクインを演じた女優。この曲の歌詞の中にはたしかに〈スカートをひらひらとさせてグリーのように〉というくだりがあり、「グリー」のクインに憧れる女の子の一人称で、歌詞はつくられているようだ。

 しかし、実は「グリー」でディアナ・アグロンが演じたクインも、そしてディアナ・アグロン自身も、「女は難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい」という秋元康の歌詞とはまったくかけ離れた存在だ。

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