セブン-イレブン・ジャパン公式HP「フランチャイズ 募集」より
“セブン-イレブンの天皇”鈴木敏文セブン&アイ・ホールディングス会長が今日、退任する意向を発表した。
鈴木会長は7日午前に開かれた取締役会で子会社のセブン-イレブン・ジャパンの井阪隆一社長兼最高執行責任者を更迭し、後任に古屋一樹副社長を昇格させる人事案を提案。これを否決されたことで、退任を決意したという。
「鈴木会長はずっとセブン&アイHDを独裁支配してきたが、大株主ではない。もともと鈴木氏の独断専横については、内部で不満が高まっていたんですが、業績を上げているセブン-イレブンの井阪社長を更迭する人事を強行しようとしたことで、大株主の伊藤家や金融機関、米ヘッジファンドが一斉に鈴木会長降ろしに動いた。その結果の退任ということです」(全国紙経済部記者)
では、鈴木会長はなぜ、井阪社長を更迭しようとしていたのか。実は、鈴木会長は、自分の次男である鈴木康弘セブン&アイHD取締役をセブン&アイHDの社長に据えようとしていた。
「この後継人事に対して、大株主の米ヘッジファンドをバックにつけた井阪社長のグループが『あんな人間を社長に据えたらとんでもないことになる』と反対。株主を説得し、鈴木降ろしを画策していた。この動きに気づいた鈴木氏が井阪社長を更迭しようとした」(前出・全国紙経済部記者)
つまり、今回の鈴木会長の退任の裏に“世襲人事”をめぐる暗闘があったわけだが、しかし、これについては、井阪氏らの方が正しかった。
というのも、鈴木会長が後継者に据えようとしていた次男の康弘氏の評判は最悪なものだったからだ。
康弘氏は1987年、武蔵工業大学(現・東京都市大学)工学部電気工学科を卒業後、富士通にシステムエンジニアとして入社。96年、ソフトバンクに転職し、99年8月には書籍のインターネット通販会社イー・ショッピング・ブックスを設立して社長に就任した。2009年12月にセブン&アイHD傘下に入り、セブンネットショッピングに社名変更した。
「しかしセブンネットは業績が悪く、14年3月、セブン&アイHDの中間持ち株会社セブン&アイ・ネットメディアがセブンネットを吸収。次男をセブン&アイ・ネットメディアの社長に就任させたんです。そして14年12月、鈴木会長は康弘氏をグループの統合販売をするオムニチャネル戦略の責任者にして、この事業に1000億円を投資した。しかし結果は出せず、大失敗してしまったんです。ところが、鈴木会長は、息子可愛さで、昨年5月28日の株主総会で執行役員から取締役に昇格させ、後継者への道を準備し始めた・これはさすがに、反発を食らうでしょう」(前出・全国紙経済部記者)