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“無双”といわれる「週刊文春」にも絶対書けないタブーが! 林真理子が「作家になれば悪口書かれない」と暴露

 そして、14年夏の合併号には第三弾として、たかじんの長女の手記を掲載する予定だった。すでに原稿も完成し、さくら夫人がたかじんと同居していたマンションを訪ね、取材を申し込んでいたという。

 ところが、校了直前、事態は急転する。当時、『殉愛』を執筆するためにさくら夫人を取材中だった百田氏が、電話で同誌の新谷学編集長に記事を中止するよう申し入れたのだという。

 すると、新谷編集長はあっさりこの申し入れに応じ、取材班は大阪から撤退。記事掲載も見送られてしまった。つまり、それまでさくら夫人叩きの急先鋒だった「文春」は、百田氏がさくら夫人のバックについたことで、一気に手のひらを返してしまったのだ。

 しかもその後、『殉愛』が出版されてからも、「文春」の姿勢は変わらなかった。連日、さまざまな嘘や問題が発覚しても、一切、記事にしようとせず、逆に14年12月18日号に百田氏の手記を掲載し、15年1月1・8日特大号から百田氏の連載小説「幻庵」を予定通りスタートさせた。

 百田氏の『殉愛』には、「(文春の記事は)捏造」「真っ赤な嘘」とまで書かれていたのに、「文春」はひとつも反論をせず、百田氏にひれ伏してしまったのだ。

『殉愛』については、他の出版社系週刊誌も売れっ子作家が相手だということで、腰が引けてはいた。しかし、たとえば、小説『フォルトゥナの瞳』を連載して単行本化したばかりの「週刊新潮」(新潮社)でさえ、百田氏にさくら夫人のインタビューをねじ込まれながらも、そのまま丸乗りすることはせず、対立するたかじんの長女の取材も行ったうえ、一応、検証記事の体裁をとっていた。

 それに比べると、「文春」の対応がいかにだらしないものであるかがよくわかるだろう。

 作家タブーに完全に屈したケースは他にもある。たとえば、06年、東京都知事だった石原慎太郎氏に四男の“縁故重用”疑惑が浮上したときのことだ。

 石原氏の四男・延啓氏は無名の画家だったが、石原氏は自らの職権で都の若手芸術家の支援事業「トーキョーワンダーサイト」に助言する芸術家として都の外部委員に抜擢。「ワンダーサイト」への補助金を4年間で4億7000万円と以前の8倍以上に増やしていた事実が発覚したのだ。

 さらに03年3月には、延啓氏が都の職員とともに訪欧した際に費用55万円を都が全額負担したことや、他の数々の公費による出張も複数のマスコミ報道から判明していった。そのため石原氏は「息子可愛さに血税を湯水のように使う公私混同」と大きな批判に晒されたのだ。

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