そしてこの時期、実はタレントたちに対しても、派閥の踏み絵を迫るような打診があったという。
「一応、担当の移動が決まる前の段階で、タレントたちにも直接、希望を聞いていたそうです。あるグループのメンバーは、マネージャーから『おまえら、ジュリーさんで行くのか、ジャニーさんで行くのか、どっちかを選べ』と聞かれたそうです。飯島担当になっていたKAT-TUNが再びジュリー派に戻ったのも、自分たちで選んだからなんです」(芸能プロ関係者)
注目すべきは、質問が「飯島派かジュリー派か」ではなく、「ジャニー派かジュリー派か」となっていることだ。
ここまでくればもうお分かりだろう。飯島派をつくったのはジャニー喜多川氏であり、実質的に「飯島派=ジャニー派」だったのだ。この時点でジャニーズ事務所内の勢力図は「ジュリー・メリー派」対「ジャニー・飯島派」という構図になっていたことを示している。
ところが不可解なことに、メリー・ジュリー派による“飯島潰し”が激化する中、飯島氏をバックアップしてきたはずのジャニー氏は、ぱったりと動きを止めてしまうのだ。メリー氏による、あの「週刊文春」インタビューでの飯島氏に対するパワハラ解雇通告という決定的な出来事の際も、ジャニー氏が事態の収拾に乗り出すことはなかった。
メリー氏はこの「週刊文春」のインタビューで、「ジェイ・ドリーム」についても「ジャニーは首にしたほうがいいんじゃない? だって、ジャニーは給料ももらったことないし、書類も見たことないじゃない。会社も行ったことないじゃない?」「ジャニーには(ジェイ・ドリームの社長を)辞めさせなさい。私が迷惑するから。だって、ジャニー、自分が社長になってるの知らないんだもの」と語っている。
まさかジャニー氏が、本当に自分が社長になっていたことを知らなかったとは考えづらいが、メリー氏が嘘をついたのでなければ、ジャニー氏がそう言ったことになる。
「ジャニーさんは、自分が社長になったことを隠していたのかもしれません。それがバレて、メリーさんから詰め寄られたため、『社長になっているのは知らなかった』と言ったのではないでしょうか。いずれにしても、メリーさんに逆らってまで、飯島さんを残すことはできなかったということでしょう」(芸能プロ関係者)