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改憲派の「日本国憲法は米国から押し付けられた」はデマだった! 9条が幣原総理の発案だったとの証拠が明らかに

 このマッカーサーの回顧録は長らく議論の的となってきた。実際、表向きにはアメリカ側が松本草案を明治憲法と大差ないとして突き返し、戦争放棄を含むGHQ草案を作成、そして、これを日本側が調整したものが国会に提出されたというのが通説ではある。

 しかし、9条の基盤についての「幣原説」を裏付けるのは、マッカーサー回顧録だけではない。実は、他ならぬ幣原自身が著書で「押し付け論」を明確に否定していた。

 回顧録『外交五十年』(読売新聞社のち中央公論新社、初版1951年)のなかで、幣原は、総理就任直後にこんな風景を思い出したと記している。それは、敗戦の日に、幣原の乗る電車のなかで、ひとりの男が「なぜこんな大きな戦争をしなければならなかったのか、ちっとも判らない」などと怒鳴り散らしていたことだ。述懐はこう続く。

〈これはなんとかしてあの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく努めなくちゃいかんと、堅く決心したのであった。それで憲法の中に、未来永劫そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならん(略)。よくアメリカの人が日本にやって来て、こんどの新憲法というものは、日本人の意思に反して、総司令部の方から迫られてたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私の関する限りそうじゃない、決して誰からも強いられたんじゃないのである。〉(『外交五十年』より)

 また、本サイトでも今年1月に報じたが、幣原の秘書も務めた元側近議員・平野三郎による証言も残っている。平野は、前述の岸内閣憲法調査会に対して「平野文書」と呼ばれる報告書を提出したが、それは1951年2月、幣原逝去の直前に、平野が幣原から直接聞き取った言葉を問答形式で記載したものだ。これによれば、やはり幣原は平野に対し、象徴としての天皇制存続と9条の同時実現というプランをマッカーサーに進言した、と語っている。これを読むと、日本側、アメリカ側、ソ連をはじめとする天皇制廃止を求めた諸外国、そしてマッカーサーその人のさまざまな思惑を見越しての提言だったことが窺い知れる。

 さらに平野文書によると、幣原は「憲法は押しつけられたという形をとった」「マッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心した」とも語っている。つまり、日本国内を説得するために、あえてGHQから押しつけられた形にしてもらったというのである。

 そして、今回『報道ステーション』が報じた、幣原が新聞記者にオフレコで、自身が“9条の発案者”であることを認めていたという証言。これもやはり、「幣原説」を裏付けるひとつの証拠である。こうした証言が複数存在する以上、少なくとも、日本国憲法はじめとした戦後の民主主義、基本的人権、平和主義のすべてをひっくるめて、GHQによる「押し付け」という乱暴な理屈に回収してしまう改憲タカ派の主張は、どう考えても暴論と言わざるをえないのである。

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