自分が主演を務めた番組を「面倒臭い仕事」呼ばわり……。この発言は当然、物議を醸し、週刊誌にはスタッフ側から反論が次々と飛び出した。というのも、石坂は独自色を出そうと、黄門様のトレードマークだったヒゲをなくしてみたり、定番だった高笑いを封印。脚本を自ら執筆することもあり、それが番組の伝統を守ろうとするスタッフと軋轢の原因になっていたのだ。事実、このとき取材を受けたスタッフは、「いくら番組をよくするためとはいっても、周囲の気持ちも知らず、あれじゃ、まるで“男ピン子”ですよ」(小学館「女性セブン」2002年8月22、29日号)と証言している。
もちろん、『水戸黄門』は“マンネリ”が指摘されていたわけで、伝統を切り崩そうと考えた石坂の考え自体は、決して悪いことではないように思う。ただ、やはりここでもスタッフとの溝が生まれていたことは、現在につながる話である。
しかも、この『水戸黄門』ディス発言が格好の週刊誌ネタになったのは、当時、石坂バッシングが盛り上がっていたためでもある。ご記憶の方もいるかと思うが、石坂はこの前年である01年の正月に自身が主宰する劇団の元団員と入籍。しかし、その5日前である年末に女優の浅丘ルリ子と離婚会見を開いたばかりで、その席上で石坂は「離婚の原因は親の介護」としきりに強調、“大女優の彼女に介護をさせるわけにはいかない”と言っていたのだ。
石坂、浅丘とふたりで離婚会見まで開き、介護が理由だと言い切っていたにもかかわらず、たった5日で再婚……。この石坂の“身勝手”ぶりには世間も口をあんぐり開けるしかなかった。ただ、じつは会見の段階から石坂の不審さは際立っていた。なぜなら、離婚相手の浅丘が「なぜここで別れなくてはならないのか、今もわからないんです」と、会見をぶちこわすような本音発言を炸裂させたからだ。
それだけではない。浅丘は「(石坂の女性関係は)一切、見て見ぬ振りをするというか。それに持てる人ですから、1人や2人いてもおかしくないと思います」と言い、焦った石坂が発言を遮るように「何を言ってるの、君」と割って入ったり、またしても浅丘が「(不倫相手がいても)こちらは絶対おっしゃらないと思います」と話せば、石坂は「違う、違う」と慌てて掻き消し、浅丘に何やら耳打ち。そして、「(新しい女性が)現れたというわけではありません」と石坂は不倫による離婚説を否定したのだ。
このように、どう考えてもこの離婚会見は、石坂が離婚に際してネガティブ報道を封じようと、浅丘にまで出席をさせて開いたものだった。普通に考えれば、その5日後に入籍なんてすれば、バッシングが吹き荒れるのは火を見るよりあきらか。なぜ、石坂はそんな自分で自分のハシゴを外しにかかったのか……きっと誰もが首をひねることだろう。
しかし、これが「石坂浩二」という人なのだ。たとえば、おそらく石坂のことをもっともよく知っているであろう前妻の浅丘は、離婚から約半年後のインタビューでこんなことを話している。