こんな調子で、自民党の組織で歴史修正主義に異を唱えることなど、できるはずはないだろう。
いや、古市はすで歴史認識についても「転向」の兆しが見えている。
たとえば古市は、13年に『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社)という著書を刊行しているが、今年7月にそれが文庫版として再刊されるにあたり、タイトルを『誰も戦争を教えられない』と変えている。
過去形から断定的な現在形へ。些細に見えるが、この変化は象徴的だ。
そもそも、同書のなかで古市は、戦争そのものではなくその記憶の伝達に焦点をあて、各国の戦争博物館を訪れていく。そこから導きだされる結論は、生きた個別的な体験を戦争一般という「大きな記憶」に還元することはできないというものだった。
〈僕たちは、戦争を知らない。
そこから始めていくしかない。
背伸びして国防の意義を語るのでもなく、安直な想像力を働かせて戦死者たちと自分を同一化するのでもなく、
戦争を自分に都合よく解釈し直すのでもない。〉(同書より)
戦争の「大きな記憶」を並列してみせることで手にされたこうした相対主義的な見解はあきらかに、歴史修正主義に対するひとつの批判として書かれたものだろう。そして、こうした批判はあくまで、古市自身がまがりなりにも同書を通じてそうしていたように、「大きな記憶」をたえず批判的に検討していく作業と切り離すことのできないものであったはずだ。そこには「大きな記憶」を否定しながら、なおも歴史に向き合うという姿勢が感じられた。
しかしメディアの寵児として脚光をあび、稲田とも接近したそれから2年後、古市は確実にそのスタンスを変えている。文庫になった本の文庫版あとがきで、古市は、どこか開きなおるように「歴史の全貌を間違いなく後世に伝えるなんてことは原理的に不可能だ」と断じたうえで、むしろそこから生まれる「忘却は希望」だと書いているのだ。
「忘却は希望」−−−。だとしたら、それは、安倍や稲田、自民党にとっての「希望」なのではないか。歴史修正主義という徒花は、無知を温床にして咲く。つまり古市がいまあらためて、不徹底なままに肯定的にとりだしてしまう忘却=無知は、稲田にとって格好のチャンス以外のなにものでもない。