『誰が「橋下徹」をつくったか―大阪都構想とメディアの迷走』(松本創/140B)
任期満了のため、今日をもって退任する大阪市の橋下徹市長が、先ほど退任の会見を行った。先月末のダブル選挙で圧勝をおさめた勢いをそのままに、最後の最後までマスメディアに対する「威圧」の姿勢を崩さない、「橋下節」の集大成のような会見であった。
冒頭から「退任会見なんですが、メディアに二、三、文句を言いたい」とぶちあげ、「慰安婦は必要」発言、職員組合問題など数々の報道を具体的に挙げながら、「検証能力がない」「無駄な8年間とほざくコメンテーターはしょうもない」「朝日新聞は幻想主義」などとマスコミへの批判をまくし立て続けた。また、憲法改正について積極的に語る一方、今後の政治活動への関わりについて問われると、「私人だ」「弁護士の守秘義務」などとはぐらかす。対するメディア側は、言われるがままで、それ以上つっこめない。その様は、まさにこの8年間の橋下徹とマスコミの関係を象徴していた。
ABC朝日放送の府民世論調査によれば、このたびの退任を機に引退を宣言している橋下氏に対して、「復帰してほしい」が49%、「復帰してほしくない」が35%と、反対意見をもつ論者やマスコミを封殺する強権的な姿勢、慰安婦発言などの失言でバッシングを受けたにも関わらず、彼の人気は依然として健在であることがよく分かるデータが出ている。
彼はなぜこのように人気を保つことができているのか。そこには、橋下人気に丸乗りしようとするマスコミと橋下氏との「共犯関係」があった。
その蜜月関係は、彼が政治家になったばかりの2008年から始まる。まずは、彼を取り上げると目に見えてコーナー視聴率が上がる情報バラエティ番組が橋下氏に取り込まれていった。橋下氏と「内輪」の関係になってしまった放送局はそれ以降客観的な検証・報道のできない空気をつくりあげてしまう。
それは、圧倒的な人気を後ろ盾に、橋下氏がマスコミに対する威圧的な行動・言動を繰り返すようになってからも変わらなかった。むしろ、より推し進められることになる。国歌の起立斉唱命令に関して問い質した女性記者に26分間もの間「とんちんかん」などと罵倒した異常な事件もあったが、その「いじめ」のような状況にも異議を唱えるマスコミ関係者はいなかった。
マスコミ関係者は誰も彼のことを悪く書けない。そして、その状況が生み出したのが、この橋下人気だ。