これが何を意味するかといえば、個人の尊厳や男女の平等よりも家族が優先されるということだ。家族を「社会の自然かつ基本的な単位」と位置づけることは、婚姻が許されない性的マイノリティや婚姻外で産まれた子を排除する考え方で到底受容できないが、女性に対しても、DVに苦しむ妻に我慢を強いたり、介護や育児といった性別役割分業を一方的に押しつけるような規定といえる。
実際、安倍首相はジェンダーフリー・バッシングの先兵でもあったが、その際、男らしさや女らしさという社会的性差を肯定し、性別による押しつけや差別、性的役割分業を是正するための運動を「カンボジアで大虐殺を行なったポルポトを思い出します」などと国家犯罪と同等に扱うという、最大級の“レッテル貼り”を行っている。
女性の人権を認めず、個人を家族で縛り、国家の下部組織として機能させようとする──これは国が国民を支配しやすくする“戦前回帰”の思想だ。安倍首相はこうも語っている。
「一緒に暮らす家族、(中略)今日の自分を育んでくれた日本の歴史や文化、伝統、そういうもを虚心に大切と思う心こそが日本を守り、われわれが自ら起つことにつながっていく」(原文ママ、産業経済新聞社「正論」04年11月号)
「日本を守り、自ら起つ」。戦争を前提としたような話に空恐ろしくなるが、ちなみに安倍首相は選択的夫婦別姓の導入を進めていた民主党政権時に「歴史・文化・伝統を軽視する姿勢」だと批判し、このように言葉をつづけている。
「その根底にあるものは傲慢さだと私は思います。権力を握れば何でもできるんだという傲慢さ」(「正論」10年2月号)
それはあなたの話では?と言いたくなるが、安倍首相は今後も夫婦別姓の選択はおろか、女性や性的マイノリティ、婚外子の権利など一顧だにしないのは確実だろう。
(田岡 尼)
最終更新:2015.12.17 01:10