吉永にとっても原爆への思いは深い。1966年に出演した『愛と死の記録』では、原爆の後遺症に悩む青年を愛する少女の役を演じたが、「週刊朝日」(朝日新聞出版)2015年8月21日号のインタビューでは、そのとき「原爆ドームやケロイドの顔が出ている場面がほとんど削られてしま」ったことに「原爆をテーマにした映画なのに、なぜという強い思いの中で、撮影所の食堂前の芝生で座り込みをしてしまいました」というエピソードを紹介。さらに1981年に主演したNHKドラマ『夢千代日記』で胎内被爆をした女性を演じたことから、97年には原爆詩の朗読CD『第二楽章』を制作、原爆詩の朗読をライフワークにしてきた。
女優として戦争と向き合ってきたからこそ、吉永は平和を祈る気持ち、戦争を拒む姿勢をもち続け、いまの状況を看過できないのだろう。実際、前述の「SWITCH」では、「先の戦争を経た悲しみの『第二楽章』を経て、今、また混沌とした『第三楽章』がはじまる、そんな気がしています」と強い危惧を表明している。
その思いは、本作『母と暮せば』で音楽を担当した坂本龍一も同様だ。
今回の映画では、被爆した詩人・原民喜の『鎮魂歌』を歌詞に採用し、映画のラストで市民たちが合唱するシーンが登場する。山田洋次監督は「SWITCH」での吉永、坂本との鼎談で「この映画は一九四八年の長崎が舞台ですから、最後に今の長崎市民に登場してもらって、現代に繋がるようにしたかったんです」「「良き明日が来るに違いない」、あるいは「来て欲しい」という思いで終わる詩ですからね」と語るが、この言葉に坂本はこう反応している。
「同時に「でも果たして現在は?」という疑問も投げかけているわけで、問題が現在に繋がっている。単なる過去の話ではないということもおっしゃっているわけですよね」
そして吉永が、「戦後七十年ということなんですけど、今、もう「戦後」という言葉がなくなってしまいそうな時代になっています」と言うと、再び坂本も「やはり一人一人が自由にものを言えないような時代というのは本当に不幸な時代です。今の日本を見ると、自分が生きている間にこんなにも悪くなるとはとても想像していなかったような、とんでもない時代になってきたなという気持ちがあります」と応答している。
もちろん、メガホンをとった山田洋次監督はなおさらだ。とくに山田監督は、戦時中を満州で過ごし、「飢餓寸前にまで追い込まれて、最後は引き揚げ船に荷物のように積み込まれて日本に帰ってきました」と言う戦争体験者でもある。