もちろん、本書に対しては「雅子妃に寄り添いすぎている」といった批判もある。実際、同書に描かれた雅子妃の思いは被害妄想と感じられる部分もなくはないし、皇太子妃として公への貢献の意識があまり感じられないのも事実だ。
しかし、同書は、雅子妃の立場に徹底的に寄り添ったからこそ、どのメディアも書くことのできなかった“本音”“肉声”に近い言葉を引き出せたとも言える。これこそが、外務官僚から突然、皇太子妃という立場になった女性からみた皇室の「真実」なのだろう。
そういえば、同書ではもうひとつ、これまでどこも書くことのできなかった「真実」が明かされている。それは、ずっと噂になってきた皇太子夫妻の不妊治療の問題だ。
同書は1998年の秋から皇太子夫妻が不妊治療を受け始めたとはっきり書き、それにそこにいたるまでの経緯について、こう記している。
〈ご懐妊には大きな問題があることに雅子妃は気づいていたが、誰にもたやすく相談できないことでもあった。〉
〈(懐妊しない)そこには深刻な問題があった。しかしそのことを鎌倉長官はじめ宮内庁は把握できていなかった。〉
〈一般的に子どもができないと原因は妻にあると思われがちですが、宮内庁も同じような考え方だったのです〉
さらに、不妊検査が行われた際の雅子妃の気持ちは、意外にも辛いものではなかったとして、元宮内庁関係者のこんなコメントを紹介している。
「これまでお子さまが生まれないのは雅子妃のお身体のせいだといわれてきたことから、この検査結果が出たことで『やっと周囲にわかってもらえる』と安心したお気持ちの方が強かったといわれています」
いずれにしても、雅子妃に起きたことは、雅子妃の個人的な資質の問題ではない。雅子妃の世代の民間の女性が突然、皇太子妃という立場になって、周囲からプレッシャーを受ければ、ささいなことに敏感に反応し、自信を喪失し、自分の身を守ることでいっぱいいっぱいになってしまうのは、ある意味、当然とも言える。
同書も指摘しているが、皇室のあり方そのものを考え直さなければ、次に、民間から妃が入った時も恐らく同じことが起きるだろう。とくに、天皇制墨守を掲げる保守メディアや識者は雅子妃バッシングを繰り返すよりも、そのことをもっと真剣に考えるべきではないだろうか。
(伊勢崎馨)
最終更新:2015.12.28 05:28