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ネトウヨ文化人として復活したケント・ギルバートの正体(前)

慰安婦否定、憲法攻撃…ネトウヨ化で再ブレイクしたケント・ギルバートに9条擁護とマルチ商法関与の過去

 さらに同書では、日本国憲法についても「僕は改正する必要はないと思うな」とすら発言し、憲法9条は「理想」とした上で、「理想は変えない方がいい」と語っている。

 いったい、そんなケント氏がいつの間に憲法9条を「アヤシイ新興宗教」などと言うようになったのだろうか。

 ケント氏自身は、昨年、朝日新聞が慰安婦問題での誤報を認めたことがきっかけだというようなことを示唆しているが、吉田証言の信ぴょう性のなさは前々から指摘されてた事だし、なぜそれだけで、憲法から歴史認識までが180度ひっくり返るのか、説明がつかない。

 というか、ケント・ギルバートという人の過去を振り返ると、“転向”の動機は、そんな純粋なものではないような気がしてくるのだ。

 そもそも、米ユタ州で育ったケント・ギルバートが日本の地を初めて踏んだのは、1971年、当時19歳、モルモン教の宣教師としての来日だった。福岡市など九州を中心に約2年間居住、75年の再来日の際には沖縄に半年間住んだ経験もある。そして、アメリカの大学院を修了し、州弁護士資格を得たギルバートは、東京の国際法律事務所に就職するのだが、彼の運命を変えたのが、前述の『世界まるごとHOWマッチ』への出演だ。

「日本に住んで25年になるけど、この番組がすべての始まりだった。そうでなければ、弁護士のまま、4〜5年でアメリカに帰っていたと思う」(「サンデー毎日」2005年5月22日号/毎日新聞出版)

 曰く、「知人の紹介でたまたま出演することになった」(前同)というが、この時期のギルバートについては、「ケント・ギルバート 滞日14年の『自称国際活躍者』」(「潮」1995年4月号/潮出版社/あわやのぶこ氏・文)というギルバート氏への取材記事が詳しい。CM出演、ドラマや歌、司会役にと、あらゆる誘いを受けたギルバート氏だが、〈テレビに出演しつつ、他のビジネスも展開した〉という。

〈彼は、円での収入を、徐々にアメリカの地元ユタ州に投資していった。その結果、今や自宅の他に計九十三戸の賃貸用アパートを持ち、管理人も三人雇っている。〉

 ケント氏は「たまたま」進出した芸能界で“ジャパニーズ・ドリーム”を掴んだのだ。事実、テレビ出演の全盛期だった88年には、雑誌のインタビューで「(年収は)六千万から七千万くらい」「(自宅の)家賃はひと月百八十万円です」と語っている(「週刊サンケイ」88年3月10日号/産業経済新聞社)。

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