もちろん、クレジットカードだってつくることはできない。これでは、豪華な生活どころか、普通の生活を送るのでも不便極まりない。しかし、彼らの厳しい日常はこればかりではない。驚くことに彼らには手帳でスケジュール管理することも、日記をつける自由すらも与えられていないのだ。
〈暴力団は多少とも逮捕や服役を繰り返していますから、その度に生活はぷつんと中断されます。逮捕と同時に家宅捜索されますから、手帳や日記はつけられません。押収されると、他の組関係者や自分のスポンサーに迷惑をかけてしまうからです〉
また、携帯電話の取り扱いに関しても面倒臭そうである。
〈痛し痒しなのは携帯電話です。携帯電話のおかげで電話番号を記憶する苦労からは免れましたが、そのかわり携帯の通信記録や番号簿から人脈の全容を警察に把握されてしまいます。携帯電話をシノギ関係、組関係、個人関係と三、四台使い分けたり(突然、家宅捜索があれば、急いでシノギ・組関係の電話をトイレに投げ込み、水につからせて、入力データを復元不能にします)、姓名を愛称や略称で入力しておくなど、組員の方もそれなりに工夫しています〉
些細なことだが、普段から何台も携帯を使い分けなければならないのは、地味にストレスが溜まりそうだ。
最後に本稿の締めとして、ヤクザ映画での暴力団のイメージを覆すエピソードを二つほどご紹介したい。まずは、「刺青」について。ヤクザといえば、全身に和彫りが入っているイメージがある。これには刺青を入れる痛さを絶え抜くことで、「自分はヤクザ者になったんだ」という覚悟を確かめる、通過儀礼的な側面があると聞くこともあるが、そういうことでもなかったようで……。
〈暴力団のすべてが刺青を入れているわけでもなく、たとえば山口組の四代目組長だった竹中正久は刺青を入れていませんでした。
実弟の竹中組組長・竹中武から聞いたことがあります。
「兄貴(竹中正久)だけでなく、わしらもみんな身体はきれいや、入れてへん。墨みたいなもん、痛い目して、高い銭出してやな、体に悪いいうことが分かっとって、入れるいうの、わしらおかしいと思うわ」〉