ところが、赤塚不二夫にはこうした書籍などにも出てこないもっとすごい伝説がある。
それは“本番”ポルノ男優として雑誌に出演していたという過去だ。しかも、カメラマンはアラーキーこと荒木経惟というのだから、二度驚きだ。
その“本番”写真は2004年に休刊したスキャンダル雑誌「噂の真相」が1982年に別冊として出版した「荒木経惟の真相」の特別企画として収録されたもの。たしかに、現物を見ると、モノクロながら赤塚不二夫がモデルと全裸でからみセックスをしている写真がはっきりと写っている。
これはいったいどういう状況で撮られたのか。その現場の裏話が「噂の真相」本誌82年8月号におさめられていたので、記事をところどころ引用しつつ、ここからはその衝撃的な過去をご紹介していきたい。ちなみに、現場レポートを書いたのは、「ほとんどビョーキ」の風俗レポートで一世を風靡した山本晋也カントクである。
時はまだヘアヌード解禁前。男優が赤塚不二夫であるという以前に、まず“本番”をプロのカメラマンが撮るという時点ですでに衝撃であった。実際、山本晋也カントクも、レポートの序文のなかで〈ボクは200本以上のポルノちゃんを撮ってるわけスけど、モノホンのポルノは知らんわけですよ。(中略)いつも前バリでアソコを隠してる女優さんばっかりでしょう〉と綴っている。
そんな、時代を先駆けた衝撃の現場は最初から不安要素を抱え込み始まったという。当然ながらポルノ男優としての現場は初体験の赤塚不二夫。心配と興奮のあまり、撮影前から「心配なのボーク、ほんとはね、昨夜さァ、止むに止まれずねェ、しちゃったのねェ」「だってサァー、心配だったンだモン、立たなかったら困るでしょー、だから前の晩にたしかめたかったンだよねェ」と語ったという。
そんな状態で大丈夫だったのだろうか? しかし、そこは今まで紹介してきた通り、人前で裸になることには慣れている赤塚不二夫。アラーキーの提案で女優をパイパンにしたりするうちに先生のモノはしっかり仕事ができる状態に。そして、そこではこんな会話がなされたという。
〈もしかすると、タモリさんのより大きいかもしれないのだ! というのも、タモさんのも立派でして、双子みたくセンセーのと似ておるのですよ。
「センセー、大きいスよ、ボクもセンセーの立ってるの初めて見たスけど、タモさんのより大きいみたい!」
もう、ニコニコしちゃうのです。タモさんのより大きいといったら、
「タモリいィ、あいつのより大きいよォ、ボクのは、アイツのはさァ……」とタモさんのアレのゴシップ。こっから先は、ちょっといえない、ボクもタモさんのをいろいろ知ってるけど、男は口が固くないと友情に傷がつく、クローズ〉