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日本テレビにもこんな記者が! 清水潔に「ジャーナリズムを貫くための闘い方」を訊く(後)

調査報道に挑み続ける名物記者が安保法制に沈黙するマスコミ人を叱咤!「所属なんて関係ない、自分の考えを語れ」

「一方、当局にとっては『記者クラブがうるさい』っていうのが、面倒な週刊誌に対する取材拒否の言い訳にもなる。ここで、情報源の独占をしたい記者クラブと警察の利害が一致して、話してきたような問題が起こるんだよね」

 こうした経験から、日本テレビに移籍した現在も清水は記者クラブには入っていない。明確な意志を持ってというよりはクラブの存在自体が「どうでもいい」。「毎日そこにいる人間からすれば『入ってないと何もできない』と思うのかもしれない」が、入っていなくても特段「不便は感じない」という。

 たった一人で警察・官庁など国家権力を相手に行う調査報道は、リスクがつきものだ。北関東連続幼女誘拐殺人事件への取材記録をまとめた『殺人犯はそこにいる』(新潮社)のなかで、清水は次のように記している。

〈そもそも、刑事事件の冤罪の可能性を報じる記者や大手メディアは少ない。特に確定した判決に噛みつく記者となればなおのこと。「国」と真正面からぶつかる報道となるからだろう。(略)国家の判定に異議有り。一言で言えばそういうことを報じるのだ。99.8%とも言われる日本の有罪率に挑むのだ。相反する立場の弁護士などにも取材する、少々熱心な記者であっても腰が引けるだろう〉

 特に、週刊誌を相手とした名誉棄損裁判では2000年代以降、明らかな客観的証拠があったしてもメディアの敗訴判決が相次いだ。かつ、自民党政権を中心に個人情報保護法などメディア規制法案が次々と成立、それまで50~100万円台だった損害賠償額が10倍近くに跳ね上がる。こうした流れがメディアによる権力監視効果を萎縮させたとも言われている。では、こうした状況のなかで、清水自身は訴訟が怖いと思ったことはないのか。たずねたところ、すぐさま「考えたこともない」という返事がかえってきた。実際、これまでのジャーナリスト人生で訴えられた経験は1件のみ。それも原告が途中で取り下げた。「考えるとすればむしろ、報じる内容が多くの人にとって意義があるのかないのかということ。重大な内容を報じる必要があるなら、訴えられるとか訴えられないとかは別次元の話」と語る。

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