「女性の活躍」と言ったって、それを提言する政治の場でさえ、地方議会では女性議員の52%がセクハラ被害を受けているというデータもあるし、セクハラヤジもなくならない。そんな現状なのだから、一般企業に「女性の活躍」を求めてもすんなり上手くいくわけがない。ドラマには、そうした批判が込められているかのようだ。
さらにドラマのなかの常務は、「女性の活躍」や「男性の育児休暇の充実」を喧伝するものの、いざ武井が問題提起をすると「乙女の感傷で物を言われても困る」と一蹴するような人物。そのため、会社が女性の登用を進めようとしても、武井たちは信用ならない。
「型どおりに女性登用を売りにすると安心なんだろうな」
「ですから女性が大きい役に就くと能力がないのに女だから就けたと言われたりするんです」
この台詞は、まるで先月28日に国会で採決された「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律」の批判にも聞こえる。「女性活躍推進法」は、企業や団体が女性管理職の割合などといった数値目標を設定・公表することを義務づけているが、このように法案で女性を管理職に押し上げても、現場では「能力もないのに」と言われるだけだと、ヒロインの武井は憤っているのだ。
現実でも「女性活躍推進法」に対しては、管理職を増やす前に待機児童やマタハラ問題など、働きやすい環境をつくるための具体的な解決策を盛り込むべきだという批判も起こっている。安倍首相は本気で「女性の活躍」を考えているのか?という世間の疑問、そして「女性の活躍」という言葉の実態のなさを、このドラマは描いているように思えるのだ。
くわえて、ドラマではさらに、課長という役職に就く稲森いずみが、風間の完全なイエスマンとして描かれているところも気になる点である。女が出世するには上司である男に楯突くことは許されない、従順であるべしというその関係は、まるで安倍首相と女性閣僚たちを見ているようだからだ。
そもそも、安倍内閣は“オトモダチ人事”であることは有名な話だが、安倍首相が「女性の活用」を謳って入閣させた女性閣僚たちは、揃いも揃って安倍首相と思想を同じくしている。