小説、マンガ、ビジネス、週刊誌…本と雑誌のニュース/リテラ

menu

安倍首相の「積極的平和主義」は盗用だった! 言葉をつくった世界的権威の学者が「正反対の意味で使っている」と徹底批判!

 つまり、平和について考える際、核軍拡にフォーカスした議論では飢餓や貧困といった開発途上国の問題は軽んじられてしまう。こうしたなかで、ガルトゥング博士は「積極的平和」という概念を提唱した。これが新しかったのは、さらに〈暴力の概念を、直接的暴力と構造的暴力とに分け、戦争を直接的暴力に、飢餓や貧困を構造的暴力に位置づけた〉ことだった。このガルトゥング博士の概念により、平和学は核軍縮や戦争の問題にとどまることなく、〈不平等や経済的不公平、社会的不正などといったものにまで、アプローチすべきものという認識が確立〉されることになったのだ(前出『はじめて出会う平和学』)。そのため平和学は、環境問題、ジェンダー問題、人権の抑圧、経済の問題など、さまざまな研究領域を含むことになった。

 戦争をなくすだけでなく、人が貧困や抑圧といった暴力を受けない状態を目指すこと。これこそが正しい意味での「積極的平和主義」だ。対して、安倍首相の言う「積極的平和主義」とは、どんなものか。

 安倍首相が「積極的平和主義」という言葉を使いはじめたのは、2013年に開かれた「安全保障と防衛力に関する懇談会」での挨拶と言われているが、それからというもの、ことあるごとに国内外で「積極的平和主義」を連発してきた。だが、「新たに積極的平和主義の旗を掲げる」と述べた13年9月の国連の演説で説明したのは、「国際平和維持活動をはじめ国連の集団安全保障措置に、よりいっそう積極的な参加ができるよう図っていく」ということだった。

 同様の意味で13年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略」でも、「積極的平和主義」は日本の安全保障戦略の基本理念として掲げられているが、安倍首相はこの「積極的平和主義」を実現させるためには安保法案が必要だ、といま主張しているのだ。つまり、アメリカと一緒に有事の際の行動に参加し、海外に自衛隊を派遣して、さらなる武器使用を認める法案こそが「積極的平和」だと言っているのだ。──こんな意味で言葉を使われるとは、盗用どころか悪質な誤用であり、あらゆる戦争や紛争、貧困や抑圧をなくす方法を研究してきたガルトゥング博士が怒るのも無理もない話だ。

 最初に「積極的平和主義」を“誤用”したのは、保守系のシンクタンク・日本国際フォーラム理事長の伊藤憲一氏が1991年に出版した著書『「二つの衝撃」と日本』(PHP研究所)だといわれているが、安倍政権はこれを現在にいたるまで、本来の意味を理解しないまま、あるいは確信犯で、「積極的平和」という言葉に含まれる耳ざわりの良さを利用し、誤用したまま使用してきた。しかし、「積極的平和」という言葉は、本来の意味があってこそ、人びとが目指すべき概念となる。戦争のきっかけづくりに使われる言葉ではあってはならないものなのだ。

関連記事

編集部おすすめ

話題の記事

人気記事ランキング

カテゴリ別に読む読みで探す

話題のキーワード

リテラをフォローする

フォローすると、タイムラインで
リテラの最新記事が確認できます。

プッシュ通知を受け取る 通知を有効にする 通知を停止する