被曝や怪我、そして事故。「隠蔽体質」と揶揄されることもあるが、著書は、東電が隠蔽するから、というのは半分当たっていて半分間違っていると述べる。
「実際は隠蔽したい東電の意を十二分に汲んだ下請け会社のトップが隠蔽に心を砕くのだ。東電が隠蔽する以前に、東電に報告すらされない事例が多いといえる」
孫請け、ひ孫請けといくつもの下請けが連なる巨大なヒエラルキーは、常に上の会社の顔色を窺わせる。いちばんしわ寄せをくらうのは、いつも、末端にいる現場の労働者たち。
これが、「明るい未来のエネルギー」と、クリーンな近代テクノロジーのイメージを旗印に推進されてきた、2000年代の原発の内実だ。
著者は訴える。
「当然のことながら、私と原発労働者たちの間にはいくつもの隔たりがある。それでも誤解を恐れずに敢えて言う。私は彼らであり、彼らは私である」
今年の1月19日と翌20日、福島原発で2日連続で事故が起こり、作業員がそれぞれ1人死亡したことを東電は発表している。しかし、平時の原発では、死亡事故さえ隠されていたという証言もあった。
立場の弱いものに命を脅かす労働を押し付けながら、上層部だけは責任を逃れてぬくぬくと居座わる――原発を国家ぐるみで温存するということは、命を買い叩くことを容認する社会にほかならない。
(藤 マミ)
最終更新:2015.07.05 11:43