だが、こうした“代案厨”の批判はすべて的外れだ。だいたい、どうして翁長知事が代案を出さなくてはいけないというのか。翁長知事が対話を求めても政府はそれになかなか応じず、翁長知事が辺野古基地の建設作業中止命令を出しても、菅官房長官は「現時点で作業を中止する理由は見当たらない。粛々と進める」と言い、工事続行を決めた。政府は沖縄の民意を無視し、権限を奪ってばかりいるにもかかわらず、沖縄に「代案を出せ」とは筋が通らない。もしどうしても、米軍基地を国内に置いておきたいなら、代案を出すべきなのは、日本政府のほうだ。
ところが、政府は代案どころか、辺野古以外の選択肢など考えようともしない。今年4月29日に開かれた日米首脳会談の後、オバマ大統領は共同会見で「沖縄に駐留する海兵隊のグアムへの移転を前進させることを再確認した」と述べたが、それでも翌月5月9日に中谷元防衛相は「(辺野古移設が)唯一の解決策」と明言。国外移設という可能性を政府自らが潰している。県外移設にしても、安倍首相は「普天間の部隊を切り離して県外に移設することは現実の政策としては困難と言わざるをえない。(辺野古移設の)現行計画が唯一の有効な解決策だ」と、選択肢を探ろうともしていない。
沖縄には「代案を出せ」と言いながら自分たちは何も考えようともせず、選択の余地さえ与えない──。翁長知事が言うように、こんな民主主義を無視したやり方を許容しろというほうがどうかしているのだ。
だが、こうした沖縄への危険の押し付けを、戦後の日本はずっと繰り返してきた。先日発売された『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』(高橋哲哉/集英社新書)では、そのいびつな歴史が紐解かれている。
遡ると、サンフランシスコ講和条約が発効された当時、〈「本土」と沖縄との基地面積の比率は九対一で、「本土」のほうが圧倒していた〉が、日本政府は積極的に沖縄に基地を集中させていった。しかも、沖縄が本土復帰した1972年から73年にかけて、アメリカ側が沖縄から海兵隊を撤退させる案が出されたときも、日本政府はそれに反対している。
この事実は沖縄国際大学の野添文彬講師がオーストラリア外務省で発見した公文書に記されていたもので、これによると米軍国防省は“沖縄やハワイなどの海兵隊をカリフォルニア州サンディエゴのキャンプに統合するほうが安上がりで効率的”と考え、沖縄の海兵隊は韓国に移設しようと検討していた。にもかかわらず、日本政府は「日本防衛のために、いつでも米軍が立ち上がるという意思の確証を与えるため、海兵隊の沖縄駐留が必要である」といって米軍に沖縄に留まることを求めた。〈米軍が沖縄から撤退しようとしているのに、日本がそれを引き留めていた〉のである。