ようするに、川上氏のいう「表現の自由」はただの言い訳ではないのか。「今はヘイトが商売になる」という商売上の動機で開設したコンテンツを、今度はKADOKAWAとの経営統合で商売上、邪魔になったから切った。それだけのことにすぎない。
そういう意味では川上氏の頭のなかでは、たしかに在特会も反差別の言論もフラットに並んでいるのかもしれない。しかし、それは「どちらも表現の自由」だとしてフラットにあるのではなく、金儲けの「商材」として陳列されているだけだ。
実は筆者は少し前まで、川上氏の本質はそういったIT経営者にありがちな新自由主義的なものとは少しちがうところにあるのではないか、と思っていた。それは、数年前から彼が「プロデューサー見習い」と称してジブリに入社し、鈴木敏夫氏に弟子入りしていたからだ。
ジブリといえば、戦争と差別を憎み、平和を希求する精神をもった制作集団だ。本サイトでもたびたび報じてきたように、宮崎駿、高畑勲両監督は憲法9条の堅持を訴え、安倍政権の戦争政策や歴史修正主義にも痛烈な言葉で批判してきた。もちろん差別扇動言説に対しても批判的だ。
川上氏を弟子入りさせている鈴木敏夫プロデューサーも、両監督とスタンスはほとんど同じだ。スタジオジブリの小冊子「熱風」では、押しつけ憲法論に疑問を呈し、ネトウヨもよく口にする「第二次世界大戦での日本と韓国の国家賠償は終わってる」という言い分に対しても、「いや、何回謝ったってダメ。だから、ずっとやる」「亡くなったうちの親父がね、戦時中、中国に行っていた。親父の最後の言葉に僕はびっくりしました。突然こういいだしたんです、『あれだけひどいことをすりゃあね、その恨みは晴れない』って」などと反論している。
こうした場所に志願して飛び込み、そういう思想をもつ人物に弟子入りするということは、川上氏のなかにもその姿勢に共鳴するところがあるのではないか。そう考えていたのだ。
しかし、一連の経緯を見て、そうではなかったことがはっきりした。川上氏は結局、ジブリや鈴木敏夫氏の精神をそのまま引き継ごうとしているのではなく、たんにビジネスの方法論だけをマスターしようとしているだけなのだろう。ある意味、川上氏にとっては、ジブリも在特会と同じ“利用できるコンテンツのひとつ”にすぎないのかもしれない。