沖縄は基地という問題によって、あまりに多くの軋轢を抱えてきた。「普天間では事故が絶えないから海上の辺野古に移せばいいのか」「では、ジュゴンが暮らす豊かな自然を引き換えにしていいのか」「基地をなくせば経済的な利潤を得られなくなるのではないか」……。前述したように、県民の民意は県内への基地移設反対だが、そのなかで、多くの県民が引き裂かれるような思いを抱えているはずだ。基地に賛成か反対か、ときとしてその答えが、隣近所との付き合いにも、職場での立場にも、親きょうだいとの仲にも影響をおよぼすことだってある。
Coccoは、基地に対して“YES”も“NO”も言えなかったという。しかしそれは、答えがないからではない。
〈“YES”も“NO”も私は掲げてこなかった。
こんなの戦時中で言うなら間違いなく非国民だ。
でも“YES”か“NO”かを問われることは
残酷だという事を知ってほしい。
返還とは、次の移設の始まりで
基地受け入れのバトンリレーは終わらない。
どこかでまた戦いが始まるだけのこと〉
沖縄から基地がなくなっても、同じような争いがまた別の場所で生まれてしまう。だから、“YES”も“NO”も言えない。──このように沖縄にだけ苦しみと悲しみを押しつけながら、国はその是非と真剣に向き合うこともなく、そしていま菅官房長官は“基地移設は民意”などと詭弁を吐いて、見て見ないふりをしている。基地問題で沖縄の人びと引き裂いてきたのは、ほかでもない、日本だ。
Coccoはこの文章をこう締めている。
〈私たちの美しい島を、
“基地の無い沖縄”を見てみたいと初めて、願った。
じゃあ次は誰が背負うの?
自分の無責任な感情とあまりの無力さに
私は、声を上げて泣いた。
誰か助けてはくれまいか?
夢を見るにもほどがある。
私は馬鹿だ。
ぶっ殺してくれ〉
この切迫した言葉ははたして菅官房長官に届くのだろうか。
(水井多賀子)
最終更新:2017.12.23 06:46