東氏が「子猫だとあれだけ盛りあがり、日本が見殺しにしている他国の人々だと盛りあがらないのが不思議で仕方がありません」と指摘すれば、小林氏は、坂東さんの行為を「飼い主が責任を持つという意味では、筋が通っている」と言う。佐藤氏は一連の騒動を「普段は思考を放棄している問題がいきなり(中略)世間に提起された。その結果、世間の人々は混乱し、坂東さんを感情的に、しかも過剰にたたくような言説が満ちあふれてしまった」と分析する。
さらに坂東氏が亡くなった後、作家の東野圭吾氏は「実は子猫を殺していなかった坂東眞砂子さんのこと」と題した追悼文を発表した。帰国した坂東氏と話したところ、猫を放り投げた崖の下は草むらで、落ちても死なない状況だった。「殺した」というよりも「捨てた」というのが真相だという。とはいってもまだ目の開いていない、乳飲み子の子猫を野に放てばそれは死と直結する事態を意味する。何より坂東氏自身が「殺意」を告白している以上、弁解にはなるまい。
当時の論争と、今回の生き埋め事件を直接関連付けるのは乱暴かもしれないが、高名な作家も、市井の小学校教師も「世話ができないので殺した」と行動を起こす短絡さには、何か日本における動物に対する歪んだ接し方が垣間見える。愛犬家、愛猫家がこれ見よがしに「わが子」を自慢する一方で「いらなくなったから捨てる」というアンビバレントな風潮が存在する。確かに、昔は子犬や子猫を捨てる、殺すということは当たり前のようにあったとも聞くが、21世紀の現代においてそれは通用しないだろう。そもそも同情できる、できないの議論以前に動物をむやみに殺すことは「1年以下の懲役、100万円以下の罰金」に処される「犯罪」なのだから。
例えば他国の例をみれば、スイスでは動物を飼う際に、常識問題を問う試験に合格しないとその権利は得られない。欧州の多くではペットショップはあるものの、日本のように、犬や猫が狭いガラスケースに閉じ込められて売られる「生体販売」は行われていない。写真を展示するか、里親を募集するのが一般的で、日本の販売方法は「虐待」とみなされている。さらにイギリスでは生後2か月以内の犬の販売は禁止されている。ドイツでは犬の殺処分は行われていない。そもそも殺処分場自体がなく「不治の病」と獣医師が診断した場合のみ「安楽死」が選択される。いずれも動物たちの生きる権利を尊ぶ文化が伺える。
ひるがえって日本では年間28570頭の犬と99671匹の猫が殺処分されている。このうち、負傷によりやむなく処分された犬は775頭、猫は9509匹だった(平成25年環境省調べ)。つまりほとんどは健康な状態で狭いガス室に送り込まれたことになる。
家庭の事情で飼育が困難になる事態だけではなく、ペットショップやブリーダーが売れ残ったペットを殺処分に持ち込む事例もある。09年には兵庫県のブリーダーが年間50頭の犬を持ち込んでいた例が明らかになったが、驚くことにこれは違法ではないのだ。
殺処分数は年々減少している。それでも、もう少しどうにかならないのだろうか。2020年、多くの国や地域から人々が東京にやってくる。彼らがこの事実を知ったら、とても「COOL JAPAN」とは言わないだろう。
(相模弘希)
最終更新:2017.12.23 06:43