安倍家と岸家の関係略図 信夫は養子に出されている
周知のように、岸家という名門一族は、その血を継承するために、養子縁組を繰り返し行ってきた。
信介は旧萩藩士で島根県令をつとめた曾祖父を持つ名門・佐藤家に生まれた。その後、15歳のときに同じ士族で父の実家である岸家の養子となり、佐藤信介から岸信介と改姓する。実弟は佐藤家を継ぎ、その後、兄と同じく総理に登りつめた佐藤栄作だ。
「岸・佐藤家の名門一族が、その血脈を絶やさぬために養子縁組が繰り返され、一族の結束が図られてきたのである」
それは岸信介以降の代も同様だった。岸信介の娘である洋子は安倍家に嫁ぎ、岸家は長男である信和が継いでいる。しかし信和は子どもを授かることはなく、政治の世界にはなじめなかったため、政治家にはならず実業の世界へ入った。
一方、安倍家に嫁いだ洋子には3人の子どもができた。長男・寛信、次男・晋三、三男・信夫だ。そして洋子は自分の産んだ三男を生後すぐ、岸家を継いだ兄夫婦へ養子に出したのだ。
「洋子さんは昔から、岸の血筋、つまり本家筋を絶やさないようにすることが最大の関心事だった。晋太郎さんとの間に生まれた信夫さん(元外務副大臣)を、産んですぐに自身の兄である岸信和さんの養子に出すことを決めたのも洋子さんです」(晋太郎の元番記者のコメント 同書より)
そして、洋子の岸家へのこだわりの集大成といえるのが、信夫の出馬だった。参院選を1年後に控えた2003年夏、それまで岸信介に直系の後継者・信夫がいることさえ伏せられていたが、洋子は支援者に対して、本人に代わり実の息子、信夫の出馬を表明している。関係者は一様に驚いたというが、もちろん出馬は洋子の意志が大きかった。
「岸信介が八七年に死去した後、後継者となるべき岸の直系は出ていない。十六年の空白を経て後継者に名乗り出たのが、岸信介の直系の孫・信夫だったのである。洋子にしてみれば、信夫こそ岸家の血の復興を託す子だったのだろう」
しかし洋子の血脈への執着は、確実に一族に暗い影を落とした。というのも信夫の養父母である岸信和夫妻は息子の出馬の相談すらされていなかったからだ。養父母は「あなたは政治家にならないと言っていたのではないですか」と信夫を責め立てた。そして実は洋子と養母・仲子との間にはそれ以前から確執があったという。