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遺言は「国際結婚だけはするな」…『マッサン』が描かない日本の真実

 というのも、マッサンとリタが結婚し、日本で暮らすようになったころから遡ること約20年前、国際結婚のためにアメリカから日本にやってきたある女性の記録は、想像以上に苦労の連続だからだ。その女性とは、「ミケランジェロの再来」ともいわれた世界的なアーティストであるイサム・ノグチの母、レオニーである。

 イサム・ノグチの軌跡を追ったノンフィクション『イサム・ノグチ 宿命の越境者(上)』(ドウス昌代/講談社文庫)から一部を紹介すると、レオニーが日本にやってきたのは1907(明治40)年。このときすでにイサムは2歳で、父親は詩人の野口米次郎だった。レオニーはアメリカで米次郎と出会い、米次郎の詩や小説の発表を手伝う間柄から恋愛に発展、結婚の誓約書も米次郎から送られていた。が、レオニーがイサムを身ごもり、出産する2カ月半前に米次郎は帰国。しかも、米次郎にはレオニーとは別に“本命”の女性がおり、婚約までしていた。結局、その女性にふられてしまった米次郎はレオニーに日本へくることをすすめるようになるのだが、それも父親としての責任からではなく、詩人として生きていくためにレオニーの手助けを必要としていたからだった。

 この時点で、恋愛の末に日本へふたりしてやってきたマッサンとリタとは大きく違うが、レオニーの苦難はさらにつづく。なんと、日本にきたのはいいものの、米次郎はすでに別の日本人女性と結婚していて、長女をもうけていたのだ。レオニーは個人教師などの職をもち、ほとんど休みもなく働きながらイサムを育てた。イサムはのちに「父親がいた生活というものは、まったく記憶にない」と回顧している。

 日本語も満足に話せない異国の女性が、当時の日本で“未婚の母”として暮らしていくことがいかに困難かは、想像に難くない。

〈レオニーは毎日の電車での通勤で、まだ見かけることがめずらしい「異国の女」として、好奇と猜疑のまなざしにさらされた。酒の勢いで野卑な言葉をかけてくる者もいた。レオニーはまた、家に帰れば父親の役割もこなさなくてはならない〉

 もちろん、そうした差別の目は、子どもだったイサムにも向けられた。彼はその経験を、「数々の癒えがたい心的外傷をうけた」と表現している。

〈「バカ」「ガイジン」と毎日、罵られた。アイノコなのが、ただの外人よりよくないとされた。なぜだかよくわからずに、でも自分だけが他の子供たちの世界に属せないのを意識させられた。差別されているとは思わなかった。差別という言葉を知らなかったので、差別されたと思わなかったにすぎない〉
〈日本人には外人を自分たちと同等の人間として受け入れない差別意識がある。日本人の血をもつ人間だけが日本人であり、その他の人間はすべて「外人」というわけだ〉

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