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田中マー君がアイドルオタのDD批判に反論!「ももクロも乃木坂も」はアリか?

 たとえば、AKB48の場合は「会いに行けるアイドル」というコンセプトでスタートしており、とくに握手会に重きを置いている。境真良『アイドル国富論 聖子・明菜の時代からAKB・ももクロ時代までを解く』(東洋経済新報社)では、AKB48のこのコンセプトについて、以下のように解説している。

「一対一で握手という身体接触コミュニケーション機会を持てることの印象力は強く、また、さらに『常連』になって自分を認知してもらえるなら、自己承認欲求としても強い満足を得られるでしょう。これはメンバーとファンとの強い関係性を構築する上で鍵となる重要戦略です」

 マー君は、握手会に参加することなく、主にコンサートなどを楽しむタイプのアイドルファンだが、本来のコンセプトを考えると、これではAKB48を十分に楽しむことはできていないということになる。だからこそ、足繁くAKB48の握手会に通っているAKBファンにしてみれば、「マー君は何も解っていない」ということになるのかもしれない。

 一方、ももいろクローバーZはというと、プロレス要素を取り入れたり、ロックバンドと積極的に絡んだりして、それまでアイドルに興味がなかった層を取り込んで大きくなっていった。そんなももクロについて『アイドル国富論』では、「プロダクションのムチャ振りとアイドルの頑張りの間に生まれるドキュメンタリー映画のようなドラマの過剰性を持っています」と分析。“接触”を重視するAKB48とはまったく異なるコンセプトだということがわかる。

 そして、モーニング娘。の魅力について『アイドル国富論』では「ダンスグループとしての技能クオリティ」と表現している。メンバーたちがめまぐるしく動いてひとつの形を作り出す“フォーメーションダンス”を武器に再ブレイクを果たしたのは、まさにそのクオリティの高さゆえ。「接触のAKB48」「ドラマ性のももクロ」に対し、モーニング娘。はパフォーマンスこそを重視するコンセプトなのだ。

 AKB48、ももクロ、モーニング娘。という代表的な3つのアイドルグループのコンセプトを比べてみたが、ご覧のようにまったくの別物。それを“アイドル”として一括りにするマー君に、アイドルファンが異議を唱えるのも納得できるような気もする。

 しかし一方で、「アイドルオタがただ単に上から目線でDDをバカにしてるだけでは?」という声も。アイドルファンの生態に迫った岡田康宏『アイドルのいる暮らし』(ポット出版)では、かなり気合の入ったDDとしてネット上でも有名なアイドルファンの“ガリバー”氏が、「クソDD」などと呼ばれてしまうことについて、こう話している。

「専オタの方が偉い。忠誠心が大切。DDになるのは愛情が足りないから。一人の子を大切に思っていたら、ほかに興味がわかない。自分たちが一番と思っているものを相対化されるのが嫌。自分が100%を注いでいるものを片手間に応援されるのはいや。そういう考えをする人もいるんです」

 つまり、DD批判はアイドルオタの優越感、差別意識、嫉妬心……そういうものから出ているという一面もあるらしい。

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