政府は原発事故の被害をできるだけ小さく見せようと、他にもありとあらゆる姑息なことをやっている。いちばんわかりやすいのが、それまで航空機モニタリングで測っていた「場の線量」より個人線量計(ガラスバッジなど)によって得られる「個人線量」を重視し始めたことだ。これは単純な話で、一般に場の線量より個人線量の方が低く出る傾向があるからだという。開いた口が塞がらない。
政府はこうして子ども・被災者生活支援法を骨抜きにする一方で、避難指示の解除と避難住民の帰還の準備を着々と進めていた。避難住民にとって故郷が元通りの姿になっていれば、それは帰還したいだろう。だが、実際には除染によって年間線量が20ミリシーベルト以下になった地域からの避難指示が解除されるという話なのだ。
これはどう考えてもおかしな話だ。福島以外の日本人はみんな年間の被曝限度は1ミリシーベルトとされている。それが、原発事故の被災地住民だけが年間20ミリシーベルトまで我慢しろというのだ。住民には何の落ち度もない。たまたま先祖伝来の居住地のそばに原発がつくられてしまっただけなのに。
旧ソ連のチェルノブイリ事故後のロシア、ウクライナ、ベラルーシの3カ国で成立した「チェルノブイリ法」という法律がある。これによると、追加被曝が年間5ミリシーベルトを超える地域は原則として居住を認めない(義務的移住ゾーン)、年間1〜5ミリシーベルトの地域は移住か居住継続を本人が選択する(保証された自主的移住ゾーン)、年間0.5ミリシーベルトを超える地域は、妊婦や18歳以下の児童などに移住の権利がある(放射線生態学的管理ゾーン)、とされている。あの旧ソ連でさえここまでやっているのである。
もちろん、それが本当に正しい基準なのかどうかはわからない。ただ、日本政府が被災者に押し付けた「年間20ミリシーベルト」というのは、東京大学の小佐古敏荘教授が「この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」と涙ながらに訴えて、内閣参与を辞任したときに問題となった数値である。このことは肝に銘じておくべきだろう。
そんな数値を元に政府は住民の帰還を進めている。
福島県立博物館館長で学習院大学教授(民俗学)の赤坂憲雄氏はこれを「原発難民から棄民へ」と厳しい言葉で喝破した。
〈除染はほとんど進んでいない。にもかかわらず、避難している人々の首に線量計をぶら下げて、自己責任の名のもとに、汚染されている村や町に帰還させるシナリオが作られている。原発難民から棄民へ。生存権が脅かされている。被災者の自己責任より、東電の、国家の責任こそが深刻に問われている〉(『毎日新聞』2013年8月31日朝刊「はじまりの土地 東北へ」)
官僚による「国民の棄民化」──これは原発事故に限らず、この国ではいつでもどこでも起こり得る、他人事ではない話なのだ。
(野尻民夫)
最終更新:2015.01.19 04:51